ある静かな夜、街の外れにある古びた道を、看護師の美紀は帰宅の途中に歩いていた。
仕事で疲れ果てた彼女は、次の日のシフトを考えながら、足元の石に気を付けて進んでいた。
周囲は静まり返り、街の明かりも少しずつ消えていく。
突然、彼女の目に一つの大きな看板が視界に入り、思わず足を止めた。
この道は「癒しの道」と呼ばれ、その名の通り、通った人々に心の平安をもたらすと噂されていた。
しかし、美紀が看板の方へ近づくと、何やら不穏な雰囲気を感じ取った。
風が吹き抜け、周囲にある木々が不気味に揺れている。
その瞬間、彼女は「壊れた街」と呼ばれる場所が思い浮かんだ。
かつては賑わっていたはずのその街は、今や人々が近寄ることさえ恐れる場所となっていた。
数年前、大きな火事が原因で町全体が焼け落ち、その後、謎の失踪事件が絶えなかった。
美紀はそのことを思い出し、道を進むことに少し躊躇した。
癒やしとは裏腹に、どこか陰のあるこの道を進めば、自分も「壊れた街」の一員となってしまうのではないかと、不安が膨れ上がる。
しかし、彼女はどうにか足を動かし、道を進んでいった。
あたりはますます静まり返っており、聞こえるのは自分の呼吸音だけだった。
そして、ふと視線を落とした瞬間、彼女は地面に一つの木の枝を見つけた。
その枝は、まるで人の手のように見え、しばしば動くような錯覚を覚えた。
でも、好奇心が勝り、彼女はそのまま道を歩き続けた。
しばらくすると、突然、彼女のすぐ後ろから「落ちろ」という声が耳に飛び込んできた。
思わず振り返ると、誰もいない。
心臓がドキリと鳴り、背筋に冷たいものが走った。
美紀は歩幅を速めたが、声は再び聞こえた。
「お前も、落ちるんだ」
その瞬間、不安が現実となり、道が揺れ動く。
まるで彼女を飲み込もうとするかのように、地面が崩れそうになった。
必死にその場を離れようと振り向くが、目の前に広がる「癒しの道」は、徐々に崩れていくように感じた。
世界が歪んでいくのを見ながら、彼女は逃げるために走り出した。
階段のように続く道を必死に駆け下り、美紀は「壊れた街」が見える場所へ辿り着いた。
そこには、がれきの山や焼けた建物が立ち並び、その光景は彼女の心に冷たく突き刺さった。
恐ろしい記憶が蘇り、彼女は自分がここに近づいてはいけなかったのだと悟った。
しかし、背後から再度声が聞こえた。
「まだ、落ちてはいないのか?」と、不気味な響きが耳に残る。
美紀は思わず振り返り、そこで目にしたものに絶句した。
崩れた道の先に立っていたのは、彼女の姿をした影だった。
本物の美紀とその影は、交わり合いながら、互いに手を伸ばしている。
「あなただけ、ここに残りたいと思っているんだろう?」
影は静かに囁く。
美紀は胸が熱く、全身が凍りついたような感覚に襲われ、自分がどうしたいのか分からなくなった。
心の奥底から浮かぶ、孤独と批判の声が彼女を掴んでゆく。
この瞬間、彼女もまた「あの声」に呼ばれているのかもしれないと感じ、逃げ場を失った思いが胸を押し潰す。
この瞬間、心のどこかで「落ちる」ことが正解かもしれないという考えが、美紀の心を蝕んでいく。
彼女は、自身の運命に導かれ、この無情な道を自ら望んで進んでいくしかないのかもしれない。
彼女が目を閉じた時、道は消え、彼女の存在もまた、壊れた街の一部となった。