「病院の影、鬼の囁き」

病院の静寂な夜。
白い壁に囲まれ、暗い廊下を行き交うのは看護師の足音だけだ。
その場所には、病に苦しむ人々が集まっている。
沙耶はこの病院に入院していたが、ただ一人、病室のベッドの上で過ごす自分を感じていた。
重い病にかかり、身体は弱っていくが、心だけは幻影を追い求めていた。

ある晩、窓の外から冷たい風が舞い込み、ふと気配を感じた。
次の瞬間、眼の前に立っていたのは、目を引く赤い着物を纏った鬼だった。
彼女の顔は微笑んでいたが、どこか不気味さを伴っていた。
横目で見ると、長い黒髪が風に揺れ、動くたびに不気味な影を落としていた。

「あなたをここに呼んだのは、私よ。」彼女はそう告げた。
声は低く、響くように沙耶の耳元でささやく。
「病の中で、私はあなたに別の世界を見せてあげる。」

沙耶は恐れながらも、どこか引き寄せられるような感覚に襲われた。
病んでいる身体を抱える沙耶にとって、たゆたう夢の中での安らぎは、現実からの逃避のようなものだった。
鬼は静かに彼女の手を握り、優しく引き寄せた。

「さあ、露のように、この世界の奥へ行こう。」彼女はかすかに微笑み、二人の姿はいっそう薄暗い廊下へと沈んでいった。

暗闇の中で、沙耶は病院の現実から遠ざかっていく。
薄暗い影の中に、彼女はかつて希望を持っていた子供たちの姿を見た。
鬼は彼女たちを指差し、「彼らはここにいて、あなたを待っている。」と囁いた。
その言葉は沙耶の心を掴む。
夢に浸ると同時に、思わぬ温もりが心に広がる。

鬼は言った。
「私はあなたの心の影。誰もが抱えている不安や恐怖の姿。さあ、彼女たちと共にこの病を忘れ、夢を見続けるのもいいでしょう。」その言葉が、まるで甘い蜜のように沙耶の心を包んだ。

だが、徐々にその心地良さが重苦しいものに変わり始めた。
不気味な視線を感じ、いつの間にか隣に座っていた病棟の患者の目が、彼女を見つめていた。
手足がだんだん重くなり、心の中に恐怖が広がる。
鬼の微笑みの裏側には、心に潜む暗闇が隠されていると気がついた。

「私はあなたを解放するつもりはない。」鬼は冷たく笑って言った。
「あなたは、永久にこの世界に留まる運命なのだから。」

そこへ一瞬の冷たい風が吹き抜け、彼女は目を覚ました。
病室の中で、あの日見た鬼は消えていたが、心の奥底にはその影が色濃く残っている。
夜の静けさの中、彼女は再び心を寄せてしまった。

次第に沙耶は、夢の中で鬼とのやり取りを続けることが心地よくなっていく。
病棟での厳しい現実を忘れ、薄暗い影の世界に引き寄せられた。
だが、そんな日々が続く中、夢の中で彼女が目にする子供たちの顔が、どことなく曇っているのに気がついた。

「彼らは何を見ているの?」沙耶は心の中で疑問を抱いた。
一体、あの鬼はどんな存在なのか。
虚ろな目をした子供たちは、今の自身をどう見ているのか。
夢の世界が次第に不気味さを増していき、彼女は恐れを抱き始めた。

再び、鬼は現れた。
「あなたは選ばれたの。永久にこの場所に引き寄せられ、私の影となる。」その言葉は、夕暮れの景色が黒に染まりながら、沙耶の心を捉えた。
彼女はそこで何が起きるのか、恐怖を覚えつつも惹かれていた。

「私を、この夢から解き放って!」沙耶は叫び、必死になって目を覚まそうとした。

しかし、鬼は微笑んで言った。
「もう遅い。あなたはもう、私たちの仲間なの。」

夢の世界から逃げ出せない彼女は、いつしか自分の目の前に立つ子供たちの影を認識した。
彼らは明るい世界への道を遮るかのように、沙耶を見守っていた。
その目に宿る悲しみを感じ、彼女はようやく理解した。
鬼とともにいることは、心の奥底に横たわる恐れを抱えることに他ならなかった。

その晩、沙耶は再度夢の中に入ることを決意する。
自分が描く影の正体、鬼の本当の意味を理解するために。
目を閉じた瞬間、彼女はまた暗闇の中へ引き寄せられる。
永遠に続くその夢に、今度は立ち向かう覚悟を持っていた。

タイトルとURLをコピーしました