「畳の下の囁き」

小さな街の一角には、古びた町家があった。
その家は代々続く家族のためのもので、長い間空き家となっていたが、最近になって若い夫婦が引っ越してきた。
彼らは新たな生活を始めるために、古い畳をそのまま使うことに決めた。
妻の名は美由紀、夫の名は健司だった。

引越しの日、美由紀は家の中を整理しながら、畳の香りにふと懐かしさを感じていた。
それは、彼女の祖父母が住んでいた家の畳の香りと似ていたからだ。
しかしながら、その香りには何か不気味な要素もあった。
美由紀は気のせいだと思うようにした。

数日後、家に入るたびに、畳の上に何かいたずらに引っかかれる音が聞こえた。
最初は小さな音だったが、次第にそれは大きくなり、夜になると畳の上で「し、し、し」と何かがささやく声が聞こえた。
美由紀は眠りにつくたびに、その声に驚かされながらも、健司は「気のせいだよ」と笑っていた。
他に何も起こらなかったため、美由紀も次第に慣れてしまった。

しかし、次の週末、彼らは友人を招いて家での集まりを楽しむことにした。
友人たちが集まると、とても楽しい雰囲気になり、美由紀も笑顔で接した。
しかし、夜が深まるにつれて、畳の上の「し、し、し」という声が louder になっていった。
友人たちもその音に気づき、目を丸くしていた。
健司は「ただの老朽化だろう」と説明したが、皆は不安そうに顔を見合わせた。

その夜、友人が帰った後、美由紀は一人ぼっちになった。
静寂が訪れたが、「し、し、し」の声は消えなかった。
美由紀は恐れを感じながらも、床に座り込んでその声の正体を確かめようとした。
その時、畳の目の隙間から指が顔を出し、彼女の目をじっと見つめていた。
驚愕の中で彼女は目をこすり、再び目を開けると、その指はもう消えていた。

彼女が恐れおののいていると、健司が目を覚ました。
美由紀は何が起こったのか説明するが、健司は彼女を少し笑いながらも、「夢かなんかだろう」と言った。
美由紀は再び眠れなくなり、声を忘れられなかった。

数日後、街の図書館で少し気になっていた古い本を見つけた。
その中には、古くから語り継がれる伝説が載っていた。
その伝説によれば、ある時代の町家では、飢えた魂たちが家の畳の下に埋められていたという。
人々はそれを知りながらも、還らぬ者たちを無視し、「し、し、し」とその声を日常に紛れ込ませてきたのだ。

美由紀はこの伝説を知り、身震いした。
彼女は健司にこのことを話し、やはり畳のことを気にするようになった。
健司も少し恐れを抱くようになり、二人は畳の上で静かに夜を過ごすことができなくなった。

ある晩、ついに健司は決断した。
「俺たち、畳を取り替えよう」と言った。
美由紀も同意し、翌日、業者に頼んで畳を新しいものに変えた。
しかし、その夜、畳を取り替えたにもかかわらず、室内の空気は重苦しく、やはり「し、し、し」という声は止まらなかった。

美由紀はとうとう決心し、家を離れることにした。
街を去る際、彼女は振り返り、町家が静まり返るのを見た。
家族が忘れていった思い出の中で、飢えた魂たちは永遠に還ってくることはなかった。
彼女は新たな生活に向かって歩き出したが、心の中にはずっと「し、し、し」というささやきが響いているのだった。

タイトルとURLをコピーしました