彼女の名前は葵。
都会の喧騒を離れ、静かな郊外に住むことを決めたのは、心の静寂を求めてのことだった。
駅から少し離れたところにある古い一軒家を借りた葵は、初めての一人暮らしに胸を弾ませていた。
家は古びているが、彼女にはその趣が気に入った。
葵は毎日の生活を楽しみつつ、週末には近所を散策してみた。
周囲には何もなく、ただ緑に囲まれた静かな場所が広がっている。
ある日、彼女は廃屋と呼ばれる、周囲の家々から少し離れた場所にある古い屋敷を見つけた。
そこは人が住むことはなく、茨が生い茂り、ひどく荒れ果てている。
彼女は好奇心に駆られ、その家の近くまで行ってみた。
一歩踏み入れた瞬間、どうしようもないような不気味な空気が彼女を包み込んだ。
扉はしっかりと閉まっており、中は暗闇に覆われている。
葵はその影の中に何か生きたものを感じたが、それに抗うようにして一旦その場を離れた。
次の日から、葵は奇妙な夢を見るようになった。
白い着物を着た女性が何度も彼女の前に現れ、「生け贄を求める」と低い声で囁くのだ。
夢の中の女性は生き生きとしていて、まるで自分がその女性に引き寄せられているかのような感覚を覚えた。
最初は夢だと無視し続けたが、夢の中の女性が次第にリアルに感じられ、葵は日に日にその存在に惹かれていった。
ある晩、葵は再びその廃屋の近くに行くことを決意した。
明らかに自分に呼びかけている存在を無視できなかったのだ。
彼女は家の中に入ると、そこはかつて住んでいた人間の痕跡が残されていた。
家具の上には埃が積もり、窓から差し込む月明かりで不気味な影が揺れている。
しばらく周囲を探っていると、彼女は一際冷たい空気が漂う部屋を見つけた。
床には古い祭壇のようなものがあり、その上には可愛らしい花が生けられている。
彼女は驚いたが、恐れよりもその空間の魅力に惹かれ、思わずその場に立ち尽くしてしまった。
その瞬間、あの女性が再び現れた。
彼女は淡い微笑みを浮かべ、優雅に手を差し伸べてくる。
葵は恐れを感じることもなく、その手を取ろうとした。
女性の声は再び低く響く。
「私の一部になって、生を維持してほしい…生け贄が必要なの。」
葵はその言葉に引き込まれそうになった。
彼女はすぐに逃げ出したくなったが、手を握る力は驚くほど強い。
女性の顔には恍惚とした表情が浮かんでいて、まるでその場から逃げることを許さないかのようだった。
彼女は逃げ出すことができず、一歩でも後退すると、部屋の温度が急に下がり、恐怖が彼女を襲った。
「あなたは選ばれたの。生け贄として、私と共に生きるのです。」その瞬間、葵は心臓が鼓動する音に耳を傾けながら、自身の感情が揺らいでいることを感じた。
結局、葵はその家から逃げ出すことができなかった。
日々が経つにつれ、彼女はその廃屋の中で感じることのできる生の存在、そして彼女自身が次第にこの女性の一部として生きる運命に引き寄せられていくことに気づいた。
彼女の意識は次第に薄れ、もう現実世界には帰れなくなってしまった。
数ヶ月後、誰も居なくなった廃屋では、どこかから彼女の声が聞こえるようになった。
「私はここにいる。生け贄を求める者、いつでも来てください」と。
廃屋は再び生の息吹を宿す場所となり、そこを訪れた者たちは、葵の存在に取りつかれ、彼女とともに呪われていくのだった。