「犬の影」

その町には、かつて大きな森が広がっていた。
その森は、地元の人々に愛され、不気味なことから「の森」と呼ばれていた。
「の森」には、古い言い伝えがあった。
それは、犬にまつわる話で、いつの間にか町の人々はその言い伝えを口にすることを避けるようになった。

町の住人、佐藤達也は、その言い伝えを全く信じていなかった。
彼は子供の頃から犬が大好きで、毎日のように近所の公園で遊んでいた。
飼い犬のハチと一緒に冒険するのが何よりの楽しみだった。
しかし、ある日、ハチは森の奥へと迷い込んでしまった。
不安になった達也は、すぐにハチを探しに行くことにした。

森に入ると、静寂が支配していた。
いつも聞こえていた鳥のさえずりもなく、薄明かりが森の間から漏れているだけだった。
達也はハチの名前を呼びながら進んだが、返事は返ってこない。
不安が膨らむ中、彼はふとある視線を感じた。

振り向くと、小さな犬がいた。
毛は薄汚れ、目はどこか怯えた様子を浮かべている。
その犬は見る者に微かな不安感を抱かせるような、どこか異質な存在だった。
達也はその犬に声をかけた。
「大丈夫、私の友達を見なかった?」すると、犬は達也をじっと見つめ、何かを訴えるように低い声で吠えた。

「あの森には近づかないほうがいい」とでも言っているかのようだった。
達也は恐れに駆られたが、ハチを探し続ける決意を固めた。
「ありがとう、でも私はハチを見つけるまで帰れない。」そう言い残して、再び森の奥へ進む。

すると、次第に光が失われ、周囲は暗くなっていった。
達也は焦りを感じ始め、心拍数が上がった。
ふと、視界の端に、先ほどの犬が再び現れた。
しかし、今度はその表情が変わっていた。
怯えた目は消え、どこか冷たい目つきに変わっている。

達也は思わず足を止めてしまった。
「この犬は一体何なんだ?」不安の中、恐る恐る近づくとその犬は突然、森の奥へと走り去った。
迷いなく足を踏み入れる犬を追いかけ、達也は走り続ける。
すると、突然、地面が崩れかけたのか、木々がざわめき、何かが迫ってくるように感じた。

「ハチ!」達也は叫んだ。
焦って周囲を見回したが、ただの木々と影しか見えない。
再び目を向けると、目の前に黒い影が立っていた。
それはまるで犬の形をした何かで、達也は恐怖に駆られた。
その影は一瞬、ハチの姿を見せたが、次の瞬間には犬の姿をした何かに変わり、達也の心に恐怖を植え付けた。

「逃げなければ!」達也は全速力で森の出口を目指した。
しかし、足がもつれて転倒し、周囲が明るくなったと思ったときには、もう遅かった。
背後から迫る影は、彼を捕まえようと迫っている。
達也は必死に逃げ、小さな道を選んだが、その道はいつの間にか閉じられていた。

「の森」の言い伝えは、この影の話なのだと彼は理解した。
その瞬間、彼はついに恐怖の中で失ったハチの声を聞いた。
しかし、それはもう犬ではなく、かつての愛しき友ではなかった。
達也はその声を最後に、再びの森に呑み込まれていった。

夜が明け、森はいつもと同じ静けさに包まれた。
しかし、町の住人たちは、「の森」に近づくことを避けるようになった。
達也の姿は、誰の目にも映らなかったが、彼の心に封じ込められた影は、いつまでもその町に住み続けていた。

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