「無間の師」

秋の深まりとともに、大学のキャンパスは静寂に包まれていた。
学生たちが教室にあふれる中、誰も気に留めない一角に、古びた建物が立っていた。
それは、かつて哲学の教授が教鞭を執っていた学舎だった。
近年は使用されなくなり、今ではただの廃墟となっていた。

ある日、大学院生の佐藤は、必須科目の試験に向けた勉強が進まず、思索を深めるためにその学舎を訪れることにした。
内部は薄暗く、埃にまみれた机や椅子が無造作に置かれていた。
教壇の前に立つと、彼は静かに一つの念を抱いた。
「私はここで集中すると決めた」。
その一念を強く持った瞬間、彼の周りの空気が変わった気がした。

しばらくの間、佐藤は本を広げ、勉強に没頭した。
しかし、彼の気持ちが高まるにつれ、周囲の静けさが不気味に感じられるようになった。
ふと視線を上げると、教壇の前に一人の女性が立っているのを見た。
彼女は黒い髪をきちんとまとめ、白いブラウスを着ていたが、どこか陰のある雰囲気を纏っていた。

「あなたはここにいるべきではない」と彼女は言った。
その声は柔らかいが、どこか冷たい響きがあった。
佐藤は驚き、思わず後退した。
彼女の正体を確かめようとしたが、言葉が詰まる。

「私は師です。あなたの持つ知識を求めています」と女性は続けた。
佐藤は混乱した。
師という存在が、なぜこの廃墟にいるのか、そして自分に何を求めているのか全く理解できなかった。

「無の間に存在する念を理解したい」と彼女が言うと、周囲の空間が一瞬歪んだように感じた。
無、還、へ──その言葉が響き渡る。
佐藤は彼女の求めるものが何かを理解しようとしたが、頭の中は霧がかかったように鈍くなっていた。

「私を助けてください。あなたの念をもって、私を解放してください」と師は言った。
彼女の目は深い悲しみを帯びており、まるで何かを背負っているかのようだった。
彼の心の中に、助けたいという気持ちが湧き上がってきた。
しかし、それと同時に背中に冷たいものが走った。
これは本当に現実なのか、彼は疑念を抱いた。

その時、佐藤の頭に過去の記憶が蘇った。
彼もまた、一度はこの場所で多くの学びを得た。
しかし、同時に、この場所に流れる因縁に引き寄せられるような感覚を抱いていた。
彼は師のことを知っているような気がしたが、それが確かな記憶なのか、ただの幻想なのか分からなかった。
彼は心の中で葛藤した。

「自分の念を込めることで、間に存在するものを還すことができる」という言葉がふと浮かんできた。
佐藤は決意した。
彼女を助けるために、自分の持つ念を届けるべきだと感じた。
現実と幻想の間に存在するような、彼女のために。

「わかりました、私はあなたを助けます」と言い、彼は目を閉じた。
心を静かに保ち、深い呼吸を繰り返す。
自分の内側にある念を感じ、それを師に向けて放つことに集中した。
その瞬間、周囲の空間が震え、色が歪むように感じた。

どこからか声が聞こえた。
「ありがとう…助けてくれて…」彼女の声は消え入るように響いた。
佐藤が目を開けたとき、彼女の姿は消えていた。
教室は静まり返り、彼だけがこの世に取り残されたようだった。

彼は立ち上がると、あの場所から立ち去ることにした。
彼が裏切られることはなく、茫然自失のまま廃墟を後にした。
しかし、その日以降、彼の心の中には師の想いが密かに宿り続け、何か大切なものを還したような感覚が消えなかった。
彼は夜ごと、彼女の言葉を夢に見るようになる。

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