「無気味な山の小屋」

山に広がる静寂の中、佐藤警は一人歩を進めていた。
彼は愛用の登山道具を背負い、長年の癖として、自然の中での孤独を楽しむために山へ来ることが多かった。
この日は、特に美しい空が広がり、静けさの中にどこか不穏な気配を感じながらも、軽やかな登山を心がけていた。

頂上を目指す道中、ふと彼の目に留まったのは、一見無気味な気配を漂わせる朽ち果てた小屋だった。
幼少の頃、山の近くで聞いた「い」の噂が浮かび上がる。
「い」とは、亡者の声を意味し、山を徘徊する霊たちとの関わりを示していた。
誰も近づかないその小屋で、今回はどうしても好奇心が勝ってしまった。

警が小屋の前に立つと、冷たい風が彼の背中を押すように吹き抜け、何かを呼び寄せるようだった。
小屋の扉はかろうじて残っていたが、中に入ると異様な静けさが広がっていた。
周囲には忘れ去られた調度品と、薄暗い隅に置かれた祭壇があった。
彼はその際に目が引き付けられ、まるで何かが自分を待っているかのように感じた。

職業柄、警の感は鋭く、どことなく不吉な空気が漂うこの場所にいた。
だが、好奇心はさらに彼を駆り立て、小屋の中を探ることにした。
調度品をひとつひとつ見て回ると、どれもがかつての住人たちの思いを宿しているかのように感じられた。

「ここに何があったのかしら」と、警は無意識につぶやいた。
その瞬間、小屋の空気が一変した。
耳に届く低い呻き声が、背筋を凍らせる。
まるで山の奥深くから聞こえてくる「い」の声のようだった。

心臓の鼓動が速まり、警は思わず窓の外を振り返った。
しかし、何も見えなかった。
先程までの静けさは失われ、なにかが彼を見つめる視線を感じた。
そして、突然、祭壇の上で厳かに供えられていた花が自ら揺れ始めたのだ。
警は恐怖に駆られ、その場から逃げ出したい衝動にかられたが、足が動かない。

「再び来たのか」と、耳元でささやく声がした。
その声はまるで涙を流しているような響きがあり、心の奥底にまで響き渡った。
「あなたは戻りたいのか?それとも、ここへ留まるのか?」

警は混乱し、心の中で葛藤が渦を巻く。
彼はこの昼下がりの静寂から逃れようとしたが、体が言うことを聞いてくれない。
小屋の中には、かつての住人たちの恨みや想いが漂っているようだった。
彼はその場に立ち尽くしながら、「ここでは何もできない、逃げなければ」と考えた。

しかし、その思いはすぐに消え去り、警は目を閉じてしまった。
その瞬間、全てが静まった。
彼は再び小屋の内部に入ることを選んでいた。
なぜなら、ここで彼は何かを見つける運命に導かれていたからだ。

微かに空気が変わり、彼の目の前にかつての小屋の住人たちの姿が現れる。
彼らは優しい笑顔を浮かべていたが、その目はどこか深い悲しみを宿していた。
「私たちの声を聞いて」と、悲痛な叫び声が四方から響きわたる。
その声は警の心に深い穴を開けて、彼を縛りつけた。

彼は再び選ばなければならない。
この小屋に閉じ込められた彼らを解放するために、彼は何を捧げなければならないのか、そんな思いがふと心をよぎった。
一瞬の真実が彼に迫る。
「その身を捧げる覚悟は、できているのか?」

恐怖と苦痛が彼を締め付ける中で、警はただ一つの決意で、何かを選ぶ姿勢を取った。
その瞬間、彼の意識は小屋の中に閉じ込められた者たちの思いに絡まり捕らえられ、彼は彼らを救うためにこの地に残り続ける運命を受け入れた。
山の静けさの中、彼の心には新たな「い」の音が響き渡っていた。

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