「火の玉の誘い」

徳は小さな町に住む普通の男性で、静かな暮らしを送っていた。
町の人々との関係も良好で、特に友人たちと共に過ごす時間を大切にしていた。
しかし、最近この町では異常な現象が起きていた。
それは、毎晩のように火の玉が出現し、町の周囲を漂っているという噂だ。
興味本位でその火の玉を追いかける者が増えたが、誰もが戻ることはできなかった。

ある晩、徳の友人である健二はその火の玉に魅了されていた。
健二は、全ての胸の内を掴まれるような感覚にかられ、ついに火の玉を追いかけてしまった。
徳は彼を止めたが、健二は完璧にその存在に誘われていった。
彼の目は焦点を失い、冷静さを奪われていた。
結局、健二はその夜、帰らぬ人となってしまった。

それから数日経っても、健二の不在を町の誰もが気にかけていた。
徳は心のどこかで彼を探し続けていたが、次第に火の玉の異常な現象が自らの身にも影響を及ぼし始めていた。
夜になると、徳は夢の中で健二の声を聞くようになった。
「戻ってこい」と、何度も繰り返されるその声は、いつしか徳の心を蝕んでいった。

夜が深まるにつれ、町の周辺には一層の不気味さが漂っていた。
徳はその火の玉の正体を探るため、決意して夜の森へ向かうことにした。
彼の胸に響くその声は、次第に焦燥感を高め、友人を救うための一歩を踏み出す理由となった。

森の中に入ると、冷たい風が德の頬を撫で、背後から何かに見られている気配を感じた。
心臓が高鳴り、彼は足を進めた。
そのうち、光がちらっと見えた。
火の玉が彼に向かって勢いよく舞い降りてくる。
思わず退こうとしたが、身体は熱に惹きつけられ、誘われるように火の中へ踏み出してしまった。

様々な記憶がフラッシュバックし、今まで無邪気だった過去の自分が一瞬で消え去った。
火の中にいる間、徳は健二の姿を見た。
彼は炎の中で巻き込まれ、まるでその存在そのものが闇の中に引き摺り込まれようとしていた。
徳は叫んだ。
「健二、戻れ!」その言葉は耳に響くが、彼の身体は動かなかった。
まるで何かに束縛されているかのようだった。

火の玉の周囲を廻り、ついに健二に手を伸ばす。
彼は目を閉じたまま、意識が外の世界から離れつつあった。
徳はその瞬間、力を振り絞り、持っていた小石を健二の方へ投げつけた。
その音が耳に届くと、健二は目を開け、一瞬のように意識が戻った。
徳は「戻れ!」と再び叫んだ。
そこから生じた摩擦で火の玉が揺れ動くと、二人は暖かい光に包まれた。

次の瞬間、徳は自分の部屋に戻っていた。
全身が疲れ切っていて、まるで夢を見ていたかのようだった。
しかし、目を開くと健二は隣にいた。
冷や汗が滲む中、互いに見つめ合うと、火の玉の恐ろしさがその場を支配していたことを理解した。
二人は無事に戻ったが、火の玉が持つ力は依然として彼らの心の中に息づいていた。

その出来事以降、町には火の玉が表れることはなかった。
しかし、徳は時折、夢の中であの声を思い出すことがあった。
敵として立ち向かうはずだった存在は、実は自らの心の中に棲みついている。
徳は火の玉の恐怖、またそれを乗り越えた後の絆を思い出し、彼自身の内なる敵と対峙し続けることにした。
彼の人生はもはや以前とは異なり、未練を捨て、新たな一歩を踏み出していくのであった。

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