月明かりの下、静まり返った古い院。
この場所は、かつて病院として機能していたが、今はその面影を留めるのみで、廃墟となっていた。
院の中には、時折不気味な滴る音が響き渡る。
どこからともなく現れるその音は、彼らの心に恐怖を植え付けていた。
ある晩、大学の友人たちと肝試しをしようと、院へと足を運んだのは、佐藤と上田、そして中村の三人だった。
彼らは肝試しのついでに、話を聞きつけた「実」と呼ばれる存在を探しに来た。
この話によれば、院の中には一度見てしまった者には、その見た者の実が成ってしまうという。
ただの噂だと彼らは無視していたが、内心は不安に満ちていた。
院に足を踏み入れると、周囲はうっそうとした空気に包まれていた。
暗がりの中、彼らは足音を忍ばせて進んで行く。
冷気が彼らの肌を撫でると同時に、「滴」という音が耳をつんざいた。
水滴が落ちるような音だが、どうにもその正体が掴めない。
「おい、みんな、気をつけろよ。何か変な音がする…」佐藤が顔をしかめ、周囲を見渡す。
彼の言う通り、あの「滴」の音が不規則に響くたび、彼らの心はさらに不安に満ちていく。
「気のせいだよ。ホラー映画の見過ぎじゃない?」上田が嘲笑いを交えて答える。
しかし、彼自身も心の奥では恐怖を感じていた。
彼らが進むほど、滴の音は徐々に近づいてくる。
恐る恐る二人が振り返ると、そこには人影が見えた。
「中村、お前、ついてきてんのか?」佐藤が叫ぶが、反応はない。
振り返ると、中村はいつの間にか後方に立っていた。
彼の視線は虚ろで、目には何も映っていないようだった。
「おい、中村、大丈夫か…?」上田が声をかけるが、中村はただ滴ってくる音を聞き入っているようだった。
突然、何かが中村の手に触れた。
彼は驚いて目を見開く。
無造作に手にしたそれは、まさに滴り落ちる黒い実。
どこからか現れたのか、彼はその実を静かに見つめる。
「これ、俺の…?」中村は目を丸くし、実が彼を求めていることを瞬時に理解した。
「中村!」佐藤と上田が同時に叫んだ。
中村はその実を口に運ぼうとした瞬間、周囲に漂う水滴のようなものが彼の手を奪っていく。
まるで生き物のように、その滴は彼を包み込むように侵食してくる。
驚愕に満ちた表情で、中村は身をよじり、必死に抵抗しようとしたが、まるで何かに魅了されたように、彼は擦り寄っていく。
「やめろ、中村!」佐藤が手を伸ばすが、虚ろな目をした中村は、彼らの声を聞いていないようだった。
滴の中心に引き寄せられる中村の姿を見るにつれ、二人もその場から逃げ出したくなった。
それでも、勇気を振り絞った佐藤が「中村、戻れ!」と叫ぶ。
実を求めて舞う滴の中に、かつての笑顔を取り戻すことはできるのか。
中村は依然としてその実とひとつになることを選んでしまった。
あるいは彼の心も、この場に引き寄せられ、永久に沉んでいくのだ。
やがて、滴はさらに重なり、その音は不気味な和音を成す。
周囲は静まり返り、一瞬の静寂が訪れた。
その瞬間、中村の姿は消え、彼の存在はその実の奥へと飲み込まれてしまった。
佐藤と上田は恐怖に駆られ、そのまま院を後にした。
背後から響く滴の音が、再び彼らの心に恐怖を植え付ける。
「こんなところにはもう二度と来ない」と、佐藤は心に決めた。
彼らは知らなかった。
この院に足を運んだ者は、滴の音と共に深い闇へ沈んでいくことになるのだ。