「湖に宿る恨みの影」

彼女の名はナオミ。
小さな町のポンポンという湖のそばにある、古びた民宿で育った。
湖は穏やかそうに見えるが、その深い水は人々に忘れ去られた恐ろしい秘密を隠していた。
ナオミは子供の頃から、祖母から聞かされる「斉の話」を思い出すことがあった。
斉とは、湖の底に住んでいるとされる霊で、かつてこの町で起こった悲劇を背負っている存在だった。

ある晩、ナオミは思い立って、久しぶりに民宿を訪れることにした。
湖もすっかり色づき、秋の静けさが広がっていたが、心のどこかに不安が芽生えていた。
それでも、彼女は祖母の思い出とともに、懐かしさを感じたのかもしれない。

宿に着くと、そこはかつての面影を残しながらも、どこか薄気味悪い雰囲気を醸し出していた。
明かりが灯された一部屋を除いて、ほとんどの部屋はカーテンも閉ざされ、不気味に静まり返っていた。
ナオミはそんな空気に引き込まれるように、湖のほとりへと向かった。

湖の岸辺に立つと、波の音が静寂を破り、月明かりが水面を不気味に照らしていた。
その時、ナオミは周囲が一瞬ざわめいたような気がした。
恐れを感じつつも、彼女は湖をじっと見つめた。
すると、湖の深いところから、白い影が浮かび上がってきた。
その影は、まるで彼女を招くかのように揺れていた。

「斉…?」彼女は息を飲んで呟いた。
祖母が語っていた言葉が頭をよぎる。
斉は意志を持ってこの世に留まることを選んだ者たち。
そんな存在が自分の目の前に現れるとは思ってもみなかった。
ナオミは足がすくみ、身動きが取れなかった。

その時、湖から声が聞こえた。
「ナオミ…ナオミ…」その声は耳に優しく、彼女を引き寄せた。
振り返ると、何もない空間に彼女の名を呼ぶ形をした影が見えた。
恐怖が彼女を包み込む中、ナオミは自分を立て直し、湖に向かって歩き始めた。

近づくにつれて、影は明確な姿を持つようになり、彼女の目の前に現れた。
その存在は、若い女性の顔を持った、悲しげな表情をしていた。
斉は彼女に向かって言った。
「なぜ、私を呼ぶのか?」

ナオミはしばらく口が開かなかったが、遂に口を開いた。
「私は…あなたの話を聞いたことがある。あなたは、この湖に囚われているのね…」

その言葉を聞いた瞬間、斉の目に悲しみが浮かんだ。
「私はこの湖の底に留まることで、過去の悲劇を背負い続けている。私の命が消え、私を知る者もいないが、私の恨みは消えないのだ。」彼女は声を震わせながら、過去の出来事を語り始めた。

彼女の話によれば、昔、この町で起きた大火事が原因で、無実の罪を着せられた女が命を落としたという。
その女の怨念が、湖に宿ることになったのだった。
ナオミは、その話を耳にし、彼女の心を打たれた。
「あなたの悲しみを解放する方法はないの?」

斉は微笑みながら、静かに言った。
「あなたの思いを私に伝えてくれ。知っている者がいれば、私を忘れない者がいれば、それが私の解放になるのだ。」

ナオミは彼女の手を取り、心の底から約束した。
「私はあなたのことを忘れない。あなたの話を伝える。そして、あなたの存在を受け入れることにするわ。」

その瞬間、湖面が揺らぎ、斉の姿は徐々に霞んでいった。
彼女は微笑を浮かべ、ナオミに最後の眼差しを向けた。
静かに湖に消えていくと、ナオミの心には彼女の悲しみが宿った。

それ以来、ナオミは町の人々に斉の物語を伝え続けた。
湖のそばに立ち、静かに語る彼女の姿は、町の記憶とともにかすかに揺れ続ける影のように感じられた。
結局、斉の恨みは解放されることなく、町の人々の心の中に受け継がれたのだ。

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