「消えゆく霧の村」

今村村は、かつて繁栄を誇った小さな集落だったが、長年の間に人々の姿が徐々に消え、今ではほとんどが霧に包まれた静かな村となっていた。
その村には、外から来た者には決して足を踏み入れてはいけないという忌まわしい噂があった。
村の中心には、古びた神社があり、人々がかつてそこで何かを奉納していたという。
しかし、今ではただの廃墟となり、風の音がその場を通り過ぎるばかりだ。

ある秋の日、大学生の健太は友人の祥子と共に村へ足を運んだ。
二人は地元の伝承を研究しており、村の霧に包まれた神社が興味を持たれていた。
「行ってみようよ、絶対に面白いことがあるはずだ!」と健太は陽気に話した。
祥子は少し不安を覚えながらも、感化されて彼に付き添うことにした。

村に入ると、呆然とするほどの霧が立ち込めていた。
その薄明かりの中で、神社は幽玄な姿を浮かべ、過去の面影を感じさせた。
「この霧、なんだか不気味だよね…」と祥子は言ったが、健太は「大丈夫だよ、昔の人たちが信じていた力を感じるために来たんだから」と微笑む。

神社の境内に足を踏み入れると、古びた鳥居が彼らを迎えた。
それをくぐると、周囲の空気が一変した。
まるで時間が止まったかのような静けさが漂っていた。
「何か…おかしいな」と祥子がつぶやいたその瞬間、霧の中から人影が現れた。
ざっと見ると、それは明らかに村人の姿だった。
しかし、近づくにつれて、彼らはどこか不自然な様子をしていた。

不思議に思った健太は、「こんにちは!」と呼びかけたが、反応がなかった。
「無視されてるのかな?」と彼は笑ったが、その表情は次第に引きつり、霧の中から現れた顔が仄かに笑っているように見えた。
それは、まるで彼らを惑わすかのような笑みであった。

「どうしよう、健太…あの人たち本物じゃない気がする」と祥子は恐る恐る言った。
健太は安心させるために「ただの幻想だよ、霧のせいだろ」と言ったが、自らもその存在に惹き込まれそうな感覚を覚えた。
人影たちは一歩、また一歩と近づいてきた。
どの顔も知っているはずの温かさを欠いていた。

その時、健太は背後から冷たい風を感じた。
振り返ると、霧がさらに厚くなり、二人の姿を隠していく。
彼らはその中で取り残され、迷子になってしまったのだ。
霧はどんどんと濃厚になり、健太は奇妙な音を耳にするようになった。
まるで誰かが囁いているようだった。
それが何を言っているのかはわからなかったが、本能的に恐怖を感じた。

「健太、急いで神社を出よう!」と祥子は叫んだ。
しかし、霧に飲まれた彼らは、どちらに逃げるべきかわからなくなってしまった。

「不気味な人形の嘲笑が私たちを偽っているんだ!」と言った健太は、急にフラフラと立ち尽くした。
かすかに目の前に現れた人影たちが、彼に向かって手を差し伸べていた。
その瞬間、彼の意識がふわりと消え、次に目覚めたときには祥子の声が響いていた。

「健太、大丈夫?」と彼女は彼を揺さぶっていた。
しかし、健太はもう彼女の目には映らなくなっていた。
体が消えかけ、彼はただの影として彼女の側に留まるしかなかった。
彼は自分が偽物で、彼女に対する愛情や思い出も霧に飲まれて消えてしまったのだと思うと、返事をすることさえ出来なかった。

祥子はただ一人、霧の中で彼を呼び続けた。
彼女は消えた健太の姿を探し続けたが、村の霧に包まれた神社が彼の存在を偽り、攫ってしまったのだ。
その日、二人の姿は村の伝承として残り、村人たちもまた、彼らを見失った幻想の中で消えていくのであった。

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