静かな夜、街は月明かりに照らされ、薄暗い道を歩く一人の男がいた。
彼の名は学。
彼は仕事を終え、帰宅する途中だった。
その道は普段は賑わいを見せるが、今夜は誰もいない。
まるでこの街全体が眠りについているかのようだった。
ふと、学は道の脇に立つ古びた街灯に目を向けた。
いつもなら明るく灯るはずのその灯は、今は消えている。
学は少し不安を感じながらも、そのまま道を進んだ。
周囲は静まり返り、沈黙が彼の心に重くのしかかった。
時折、彼の背後でかすかな音が聞こえるたびに、振り返って確認するが、何も見当たらない。
ただの風の音だろうと自分に言い聞かせながら進む。
道の終わりに近づくと、学はふと目の前の変化に気づいた。
彼が通り過ぎようとした場所で、黒い影がもやもやと漂っているのだった。
その影は動くわけでもなく、ただ静かにそこに座っている。
学は恐る恐る影に近づき、次の瞬間、彼の目はその影の中にいる一人の少女に引きつけられた。
彼女の名前は椿。
彼は未だに彼女のことをはっきりと覚えていた。
昔、彼が小さな頃、友達だった少女だ。
椿はいつも明るく、笑顔が絶えない子だったが、ある日、彼女は突然姿を消してしまった。
そして、学の記憶からもその存在は薄れ、年月が開くにつれて彼女のことを忘れていった。
「椿…?」学はその瞬間、思わず声を上げてしまった。
しかし、椿はうなずくことも、答えることもなかった。
ただ、彼に向かって微笑みを浮かべ、影に溶け込むように消えていく。
学はその進行に驚き、彼女を追いかけたが、足は動かなかった。
「消えないで…」学は心の中で叫んだ。
しかし、その願いも虚しく、椿の姿は見る見るうちに霧のように消え去ってしまった。
彼はその場に立ち尽くし、消えた影を見つめ続けた。
何が起きたのか、理解できなかった。
その後、学は必死で町の人々を探し、椿のことを話してみたが、彼女の名前を知る者はいなかった。
彼女はこの街から、また彼の記憶からも消えてしまったのだ。
月日が経っても彼女のことを忘れられず、時折、街のどこかで彼女に会えるのではないかと期待してしまう。
ある晩、同じ道を歩いていると、再びあの影を見つけた。
その影は、今度は少しだけ輝いていた。
学はすぐに近づき、心臓が高鳴る。
影の中に椿を探そうとしたその時、再び彼女の微笑みが浮かんだ。
彼は恐れを忘れて、その手を伸ばす。
「椿!」と叫んだ瞬間、彼女は再び彼の目の前から消えてしまった。
学は絶望的な気持ちを抱え、道を進む。
しかし、彼女の微笑みが忘れられずに彼の心に残り続け、影の中で彼女と再会する日を夢見るようになった。
それから毎晩、学はあの道を歩き続けた。
消えた少女を求めて、彼は何度も呼びかけた。
街灯が灯るたび、椿が現れるのではないかと期待しつつ。
しかし、その願いは果たされることはなく、学の周りにはいつも孤独が添っていた。
時が経つにつれ、学は自分自身もまた、日常の中で徐々に消えていくような気がした。
記憶の中の彼女を思い描くたび、彼女に会うことができない自分自身も、また彼女と共に消えてしまうのではないかという恐怖が彼を苛んだ。
あの道はただの場所ではなく、彼の心の奥深くへと続いていた。
学はもう戻れないほど深い影の中に足を踏み入れてしまったのだ。
彼は道を歩き続け、誰も目にしない影の中で、椿を探し続けるのだった。