「消えない思い出の風」

秋のある日、東京都心から少し離れた静かな住宅街に、青年の太一は引っ越してきた。
彼は新しい生活を楽しみにしていたが、周囲には古びた家屋が多く、独特の雰囲気を醸し出していた。
その中でも一際目立つ一軒の古い家は、周囲の住人たちから「霊の住む家」として恐れられていた。

太一は特に気にせずその家の近くに住むことにしたが、次第に不思議な現象が起こり始めた。
ある晩、彼がベランダでタバコを吸っていると、突然風が強く吹き荒れた。
周りの木々が揺れ、朽ちた古家具や枯葉が舞い上がってきた。
その瞬間、彼の耳にかすかな声がささやいた。
「連れて行って…」。

驚いた太一はすぐにベランダを退き、小さく震えながらもその声が気になった。
彼は昼間にその古い家を訪れてみることにした。
家の前に立つと、どことなく憂いを帯びた雰囲気が漂っていた。
ドアは壊れたように少し開いていて、中からは冷たい風が流れ出ていた。

思わず中に入ると、暗い廊下に一歩踏み込んだ太一は、足元に何かがあることに気づいた。
それは、一通の手紙だった。
恐る恐る手に取って読むと、そこには「消えない思い出」というタイトルが付けられた昔の住人の告白が綴られていた。

「私は、あの家に住んでいる間ずっと、彼を愛していた。しかし、彼は私を捨てて去ってしまった。心に穴が開いたまま、私はこの家に留まり続け、彼を忘れられない。風が吹く時、私は彼の声を聞く。」

その手紙を読み終わった瞬間、背後から風が強く吹いた。
振り向くと、かすかに白い影が見えた。
それは、その家に住んでいたという女性の霊だった。
幽霊が太一に近づき、どこか悲しげな表情で彼を見つめた。

「私を連れて行って…彼のところへ…」彼女は声を震わせながら言った。
太一はその言葉に戸惑ったが、彼女の悲しみが伝わってくるようだった。

翌日から、太一はその女性の声が耳に残るようになった。
何度も夢の中で彼女は現れ、彼に「消えない思い出」を訴えかけた。
彼女との間に何か特別な絆が生まれるような気がした。
だが、心のどこかで、これは自らの生活にとって好ましい影響ではないと感じ始めた。

ある晩、太一はついに決断した。
彼女を解放してあげようと、再びその古い家に向かった。
廊下を横切り、彼女が現れた場所に立つと、風が吹き抜け、冷たい空気が周囲を包み込んだ。
「あなたを解放するために来た」と、太一は叫んだ。
「どうか、次の場所へ行って!」

彼女は静かに微笑み、手を伸ばして太一の肩に触れた。
その瞬間、周囲の風が彼女に巻きつき、大きな音を立てながら彼女の姿が徐々に消えていった。
最後に聞こえたのは、「ありがとう」という彼女の声だった。

その後、家は平穏を取り戻したように感じたが、太一は心に深い影を残した。
彼女の存在、彼女が消えていく瞬間、風が運んできた彼女の思い出は、彼の心の片隅にずっと居続けた。
幽霊の悲しみを解き放ったのは良かったが、彼自身もその影響を心に秘めたままだった。
彼女のためにできたことは、消えてしまった思い出に宮を立てることぐらいで、その後の風に流されることはないだろう。

今でも、強い風が吹く時、太一はそっと耳を澄ませてしまう。
「連れて行って…」という呟きが未だに心の中で響いているような気がしてならないのだった。

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