「消えた部屋の囁き」

彼女の名前は佐藤美咲。
幼いころからずっと、彼女が住んでいる町には、不思議な噂があった。
それは「ホ」ということばだった。
「ホ」とは何か、誰もはっきりとは答えられないが、町の人々は「ホ」にまつわる怖い話を無意識に避けてきた。

美咲は大学に入学すると、都市にある学生寮に引っ越した。
寮は古びたビルで、その中のある部屋には、特に「ホ」に関する不気味な現象が報告されていた。
部屋の住人は、皆、一様に不幸な目に遭っていたからだ。
家具が勝手に動いたり、夜中に誰かの囁く声が聞こえたりしたという話を、同じフロアの友人から聞いた美咲は、半信半疑だった。

ある夜、美咲は友人たちと集まって、お化け屋敷や怖い話を楽しむことにした。
その時、気になっていた部屋の噂を思い出し、「ホの話をしよう」と提案した。
友人たちは怖がりながらも興味津々で、美咲の言葉を待った。

「昔ここの部屋に住んでいた女の子がいたんだけど、彼女はある日、突然消えちゃったんだ」と、美咲は話し始めた。
「その後、彼女のことを探しても、誰も見つけることができなかった。周りの人たちが彼女の存在を忘れるにつれて、自分の存在も薄れていくような感覚を味わったって……」

美咲が続けると、友人たちの表情がだんだん固くなっていった。
彼女は話を進めていくうちに、周囲に流れる冷たい空気を感じ始めた。
彼女自身もその存在について、恐怖を覚えたが、興味が勝り、さらに怪談を深堀りしていく。

その晩、眠りについた美咲は、夢の中で異様な場所に立っていた。
そこは薄暗く、煙のようなものが彼女の周りを漂っていた。
不気味な雰囲気に包まれ、美咲は心臓が高鳴るのを感じた。
「ホ」という響きが遠くから聞こえてきて、その声は次第に近づいてくるようだった。

「戻ってきたのね」と、尻の後ろからかすかに声がした。
振り向くと、そこには彼女自身の姿をした女性が立っていた。
美咲とまったく同じ顔をしたその女性は、微笑んでいたが、その目は虚ろだった。
「ここに来ると、みんな私を忘れてしまうの」「だから、あなたも忘れてしまう。生きることを忘れて、部の一部になってしまうのよ。」

美咲は恐怖に駆られ、逃げようとしたが、背後からの声が彼女を引き留めた。
「大丈夫、痛くないわ。ただ部として生き続けるだけよ。」

目が覚めると、彼女は自分のベッドの上だった。
部屋は静まり返り、外は薄明るい光が差し込んでいた。
しかし、彼女の心には妙な気持ちが残っていた。
恐れと違和感が入り混じり、自分が何かを忘れてしまっているように感じた。

その後も、美咲は何度もその夢を見続けた。
夢の中で彼女は、意思に反して「ホ」の部として生きることに引き込まれていく。
現実世界での友人や家族のことを思い出そうとすればするほど、その思い出が霧の中に溶けていく気がした。

美咲は次第に、人々との繋がりが薄れていくことを感じた。
彼女の周りにいた友人たちとの関係が次第に疎遠になり、部屋の中にいるのが唯一の安らぎとなった。
いつしか、「ホ」と呼ばれる存在と一体化してしまうことに恐れを感じつつも、その魅力から逃れられなくなっていた。

ある晩、とうとう彼女は決心をした。
友人たちを呼んで、この不気味な話をしようと。
しかし、彼女が友人たちに連絡を取ろうとする度に、妙な静けさが心を支配していた。
彼女は、彼らが自分を忘れてしまったのではないかと、心の奥底で恐れていた。

美咲は次第に、どこか遠くの記憶を辿るようになった。
かつて知っていた自分の姿を思い出すことができなくなり、ただ「ホ」と一体化していることに安らぎを感じ始めた。
それから日々は過ぎ去り、彼女の記憶は徐々に消えていく。
部屋の中で、一人寂しく微笑む美咲の姿は、もはや誰にも見られることはなかった。

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