薄暗い院の廊下を歩くと、静寂が支配していた。
時折、遠くから聞こえる微かな囁きと、ひんやりとした空気が重苦しく、心の底に不安を掻き立てる。
私は数ヶ月前、重い病を患って入院し、ここでの生活を余儀なくされた。
あの院には、何か得体の知れないものが潜んでいる気がしてならなかった。
ある晩、病室の薄暗い窓から見える月明かりが、無性に気にかかった。
外には誰もいないはずなのに、何かを呼ぶ声がする。
気になって私はふと、病室を抜け出し、廊下を歩くことにした。
道は暗く、まるで別の世界へと続いているようだった。
自分自身の足音だけが木の床に響き、少しずつ先へと進んでいく。
院の一番奥には古くて薄暗い部屋があり、そこには禁じられたものがあるという噂を聞いたことがあった。
恐怖心を抱きながらも、その部屋の扉が開いていることに気づいた。
まるで私を呼ぶように、弱々しい光が漏れ出ていた。
部屋の中に足を踏み入れると、薄い霧のようなものが漂っていた。
中央には長い道が伸びており、その先には小さな窓から見える月の光が差し込んでいた。
だが、道の先には一つも現実が見えず、ただ永遠に続くような空間だけが広がっていた。
立ち尽くす私の前に、あどけない少女が現れた。
彼女は淡い白いドレスを着ており、目はどこか悲しげに見えた。
少女は静かに言った。
「ここは出られないの。ずっとここにいるのよ。」
私は愕然とした。
どこかで見たような顔だったが、思い出せない。
彼女は続けて言った。
「道が消えてしまったの。足りないものがあって、戻ることができない。」
私はその言葉が、何か特別な意味を持つことを感じた。
少女の無垢な姿とは裏腹に、彼女の声には冷たい風が混じっているようだった。
彼女の手をとり、道を進もうとしたが、何も感じられなかった。
道はただ永遠に続き、彼女を引き裂くような懐かしさとともに、重苦しい絶望感がこみ上げてきた。
「私を連れて行って…」少女は目を閉じた。
願いが込められたその声は、私の心に深く染み入った。
「でも、私を忘れないでね。」
その瞬間、彼女の姿が霧の中に溶けていった。
道は完璧に消え、私はひとり立ち尽くしていた。
何かを求めていたのは彼女だけではなかったのかもしれない。
私の心の奥にも、何か大切なものが存在している感覚がした。
急に背筋が冷たくなり、私は慌てて部屋を飛び出した。
廊下を駆け抜け、再び病室へと戻ろうと思ったが、道がどこかで変わってしまったのか、方向感覚を完全に失っていた。
どの扉も見覚えがない。
私は出口を探し回りながら、心の中で彼女の呟きを繰り返した。
「私を忘れないで…」
そうしているうちに、静寂が私を包み込み、ほんのりとした光が見えた。
それは、先ほど見た少女の記憶のようでもあり、同時に自分の存在が消えてしまう恐怖でもあった。
心が崩れそうになると、背後から冷たい手が私の肩に触れた。
振り向くと、そこには再び少女が立っていた。
彼女は微笑みながら言った。
「やっと会えたね。」
その瞬間、私は思考を失い、少女に吸い込まれるように道を進んでいった。
気づくと、院の廊下は広がり続けていた。
どこへ続いているのか、もうわからなかったが、私は彼女と共に、消えゆくことを選んだのだった。