「消えた調べ」

校舎の一室に響く不穏な気配。
そこは、廊下の奥に位置する音楽室だった。
学校の噂によれば、昔の音楽教師がその室内で悲しい事故に遭い、それ以来、誰もその場所に近寄らなくなった。
噂を聞いた生徒たちは、軽い気持ちで音楽室の話題を交わし、半信半疑でその存在を受け入れていた。

その日、生徒たちの中にいた佐藤リカもまた、その噂を知っていた。
しかし、彼女は他の生徒が怖がる様子を見て、逆に興味が湧いてきた。
リカは、友人の裕也とともに、昼休みに音楽室を訪れることを決意した。

「ちょっと、リカ、やっぱりやめない?」裕也は不安そうに言ったが、リカはまったく動じなかった。
「大丈夫よ、誰もいないとこだし、入ってみようよ」。
彼女の好奇心には勝てなかった裕也は、渋々リカの後をついて行くことになった。

音楽室は外から見えるとは違い、薄暗く静まり返っていた。
古い楽器が埃をかぶり、窓から差し込む光が不気味な影を落としている。
リカはその雰囲気に少し興奮しながら、「ねえ、何か変な音が聞こえない?」と言った。
裕也は少し耳をすましたが、微かに聞こえるのは風の音だけだった。

だが、その時、リカの耳に何か別の音が聞こえた。
それは、まるで誰かが楽器を奏でているかのような、美しいメロディの断片だった。
「裕也、聞こえる?」リカは目を輝かせ、周囲を見渡した。

裕也は恐怖心が増していく。
彼は「やっぱり出ようよ。おかしなことになったらどうするの?」と言ったが、リカはその声を無視した。
彼女はその音の方へと足を進めると、古いピアノの前に立ち止まった。
そこには誰もいないはずだったが、弦の微かな振動を感じながら、リカの心には強い好奇心と不安が交錯した。

リカがピアノに近づくと、ゆっくりと鍵盤が動き出した。
彼女は驚き、後ずさったが、目はピアノに釘付けになっていた。
まるで何かに操られるように、無意識に鍵盤に手を伸ばし、音を重ねていく。

その瞬間、裕也は彼女を呼び止めた。
「リカ、やめろ!何かおかしい!」声を張り上げたが、リカはまるで彼の声が聞こえないかのように続けて演奏を続けた。
すると、教室の空気が急に冷たくなり、暗く影が這うように広がる。
「リカ、後ろ!」裕也の叫びが響いたが、リカは耳を貸さず、演奏に没頭し続けた。

その時、教室の壁に沿って一筋の影が現れた。
リカの背後に立つそれは、かつて音楽室で悲劇に見舞われた教師の姿だった。
彼は無表情でリカを見つめ、手を伸ばそうとしていた。
裕也は恐怖で体が動かず、ただ声を荒げながらその光景を見つめるしかなかった。

おそるおそる裕也は音楽室の出口へ向かおうとしたが、そこに目の前をふさぐように影が立ちはだかっていた。
驚きと恐怖から彼は息を呑んだ。
リカはその影に気づかないまま、ますます激しく演奏を続ける。

「何かしら!リカ、気をつけて!」裕也は必死に叫び続けた。
すると、突然、冷たい風が巻き起こり、楽器が一斉に音を立てた。
リカの手元でメロディが崩れ、音の波が彼女を包み込むように広がっていった。
その瞬間、リカの顔に恐怖が浮かび上がる。

彼女の目の前に現れた影が、静かに口を開いた。
「理想の音楽を…」その声は、かつての教師のものだった。
「君の音楽が必要だ、私のために」彼はリカに向かって手を伸ばし、彼女の体を引き寄せようとした。

「う…うそ!」リカは恐れおののき、必死に手を引いた。
しかし、影は止まらず、彼女に近づいてくる。
「私を解放して…」その声がリカの心に響き、彼女はなぜか強い悲しみを感じた。
それと同時に彼女は、自分が彼女の理想を実現させるために必要な存在だと悟った。

裕也の助け声は、次第に遠ざかる。
リカの意識は薄れ、彼女は理想の音楽の渦に飲み込まれていく。
冷たい手が彼女を捕らえ、吸い込むようにして消えてしまった。

その日以降、学校ではリカの姿を見た者は誰もいなかった。
ただ、音楽室から時折聞こえる美しいメロディは、誰も近づくことができない音楽室の中で響き続けているという。
音楽室の伝説は、また一つ新たな影を加えてしまったのだった。

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