「消えた約束の影」

陽介は、古びた書店でふと目に留まった一冊の本を手に取った。
その表紙には「失われた記憶」とだけ書かれたタイトルがあった。
興味を惹かれた陽介は、自宅に帰るとすぐにページをめくった。
そこには、人々の記憶が呪いとなって現れるという不気味な現象が描かれていた。
それは、かつて大切な記憶を失った人々が、一生その苦しみから逃れられず、最終的にはその記憶の亡霊に捕らわれるという話だった。

数日後、陽介は自分の記憶に異常を感じ始めた。
いつも通りの日常生活の中で、小さな出来事が次第に思い出せなくなっていた。
友人と話した会話や、過去の出来事がまるで霧の中に消えてしまったように、彼の心の中で薄れていった。
薄れ行くにつれて、陽介は不安を感じた。
自分が持っている大切な思い出までも、失ってしまいそうな気がしてならなかった。

ある晩、陽介は夢の中でかつての友人・健一と再会した。
健一は明るい笑顔で陽介に手を差し伸べ、「忘れないで、俺たちの約束を」と言った。
しかし、その瞬間、眩い光に包まれ、目の前の友人が消えてしまう。
陽介はその光の中で、何か大切なものを掴もうと手を伸ばしたが、指先は空を掴むだけだった。
目を覚ました陽介は、心の奥に重い喪失感を抱えていた。

その後も、陽介は夢の中で何度も健一と会うようになった。
彼の姿は次第に薄れ、声もかすれていく。
陽介は、何とか健一を覚えていようと必死だったが、次第にその想いも薄れてしまった。
夢が現実と混ざり合い、陽介は自身の名前を含む記憶まで曖昧になっていく。
「これは呪いなのか…」陽介は本の内容が現実となっているのではないかと恐れを抱く。

陽介は、何かを取り戻さなければならないと強く思った。
友人たちの中には、健一のことを知る者がいなかった。
彼の記憶は、陽介の心の中だけに封じ込められているのだ。
しかし、彼はこのまま記憶を失い続けるわけにはいかなかった。
失われた記憶を取り戻すために、陽介は古書店に再び足を運んだ。

店主は彼に「本を捨てた方がいい」と警告したが、陽介は初めて手にした時の強い感情が忘れられなかった。
「記憶を取り戻す方法はないのですか?」陽介は無情な質問を投げかけた。
店主は重い口を開き、「記憶は呪いがかかると失われてしまう。取り戻すには、自分の心を見つめ直すしかない」と告げた。

陽介は帰り道、不安を抱えたまま思索にふけった。
自分の中に潜む感情や思い出を探ることが、失った記憶を取り戻す唯一の手段なのではないかと考えた。
自宅に戻ると、彼は無理を承知で健一との思い出の断片を手繰り寄せることにした。

思い出の中の笑い声や笑顔、共に過ごした日々を想い出し、陽介はそれを手元に留めようと必死になった。
しかし、彼は見返すほどに、次第にそれらがぼやけていく様子を感じた。
「忘れてしまわないで…」それは自分自身が出した声だった。
どれだけ思い出そうとしても、健一の姿はすぐに霧の中に消え、陽介の心に重苦しい喪失感だけが残った。

その夜も健一は陽介の夢に現れ、彼を呼びかけた。
しかし今回は違った。
笑顔ではなく、涙を流している。
陽介がその理由を問うと、健一は「忘れないで、私を覚えていますか?」と静かに言った。
その言葉が胸に刺さり、陽介は必死に手を伸ばしたが、彼が去り際に口にした「あなたは呪われている」という言葉が響き、心に重くのしかかった。

翌朝、陽介は目を覚ました。
しかし、彼の心の中には不安が残っていた。
記憶が取り戻されることはなく、健一の存在も消えていく。
書店での本も見当たらず、他の本に混ざってしまったのだろうか。
そう考えた彼は、夢の中での言葉が現実となってしまうのではないかと恐れた。

彼は新たな一歩を踏み出そうと決意したが、心の奥では失ったものへの恐れがいつまでも消えなかった。
陽介は自分の記憶を思い出すたび、健一との約束が果たされない悲しみと罪の意識を感じ続けることだろう。
それもまた、彼自身の呪いとなってしまった。

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