山奥の小さな村に住む健一は、休日になるとよく友人の亮と一緒にハイキングに出かけていた。
二人は自然を愛し、特にその村の背後に広がる大きな山に魅了されていた。
しかし、最近その山にまつわる不気味な噂を耳にすることが増えていた。
特に、最近行方不明になったという人々の話が村では頻繁に語られており、健一も無神経にその話を聞き流していた。
ある晴れた日、健一と亮は再びその山に挑むことを決意した。
周囲の景色は美しい新緑に包まれ、心地よい風が頬を撫でる。
ハイキングを始めてしばらくすると、二人は思わぬ場所に迷い込んでしまった。
道のりを外れ、足元にはいつの間にか昔の石が積まれたような小道が現れる。
その先に、朽ちかけた小さな社が立っていた。
健一はそれを見て興味を持ち、亮に向かって「行ってみよう」と提案した。
社に近づくと、何かひんやりとしたものが二人を包み込むようだった。
社の中では、年代物の供物がほこりをかぶり、長い間忘れ去られたことを物語っていた。
そこで、健一は「この社、何かありそうだな」と呟くと、亮は「やめとけって、なんだか不気味だ」と警告した。
しかし、好奇心が勝り、健一は一歩前に進んだ。
すると、突然周囲の空気が重たく感じ始めた。
何かが視界の端に映る。
振り向くと、薄暗い山の奥から人影が現れた。
その姿は、まるで人間の形をした黒い影のようだった。
瞬間的に心臓が高鳴り、二人は恐怖に駆られた。
亮は「行こう、やっぱりここはやばい」と言い、逃げようとしたが、健一はその場に立ち尽くしていた。
影はゆっくりと近づいて来るが、その顔は見えなかった。
影が近づくにつれ、健一は何か強い惹きつけられる感覚を覚えた。
「何かを失った者がいる」と。
その瞬間、彼の中で何かがふっと抜け落ちたような感覚がした。
失った記憶や感情が、目の前の影に吸い込まれていくようだった。
亮が必死で健一の腕を引っ張る。
「健一、立ち止まるな!離れろ!」その声が耳の奥で響くが、健一の心は空っぽになっていた。
影は一瞬で二人のすぐ横まで迫り、そこから伝わる異様な冷気が健一に襲いかかる。
周囲の音が消え、彼の意識はますます薄れていく。
亮の叫びが遠くで途切れ、健一は一瞬の内に影に飲み込まれてしまった。
気が付くと、健一は山の頂上に立っていた。
周囲はまるで夢の中のように淡い光に包まれ、彼は不思議な安堵感に包まれていた。
しかし、周囲を見渡すと、自分以外の誰もいないことに気づいた。
亮の姿もない。
心の奥賢い静寂が広がり、健一はその時初めて、彼が失ってしまったものを理解した。
彼は戻ることができない。
この山、その影は、終わりを迎えることのない何かを求め、彼を捕らえた。
この世のものでなくなった存在として、失われた思い出の一部になり、もう二度と帰れぬ場所の一員となったのだ。
村ではその日、健一が連絡を絶った。
その後、数週間が過ぎると、亮は希望を捨てずに何度も山に足を運んだが、彼の友人を見つけることはできなかった。
山には、今もなお失われた者たちの噂がささやかれ、恐れられながら、静かに佇んでいる。