夜の帳が下りると、町は静寂に包まれる。
しかし、その静けさの裏には、忘れ去られた過去の残響が潜んでいた。
ある町外れの古びた神社には、かつて人々が恐れた「然」という霊が住み着いていた。
然は、無惨な事故によってこの世に未練を残し、今もなお彷徨っていると噂されていた。
佐藤弘樹は、大学での研究の一環として、この神社を調査することに決めた。
親友の智也を誘い、二人は薄暗い境内へと足を踏み入れた。
弘樹は懐中電灯を手に持ちながら、神社の古びた石階段を登る。
智也は、一歩一歩が重く感じられ、まるで何かが彼らを警告するかのような緊迫感に苛まれていた。
「大丈夫だよ、智也。全部、ただの噂だって」弘樹は笑顔を見せるが、その声にはどこか不安が混じっていた。
神社の社殿にたどり着くと、弘樹は一瞬怯んだ。
その扉は、わずかに開いていた。
恐る恐る入ってみると、中は湿った空気で満ちており、かすかな香りが漂っていた。
それは、まるで誰かがまだここにいるかのようだった。
「弘樹、ここ、やっぱり変だよ…」智也は後ろで小声で呟いた。
その瞬間、二人の視界の端で、白い影が一瞬現れた。
「見るな!」弘樹は怒鳴ったが、智也はすでに恐怖で固まり、その場から動けなかった。
影はゆっくりと近づいてくる。
弘樹は懐中電灯をかざしたが、光はその影に届かず、ただ空間を打ち破るだけであった。
影の正体が見えてきた。
そこには、壊れたように見える女の顔があり、無表情のまま何かを訴えていた。
弘樹は思わず後ずさり、智也の腕を掴んだ。
「逃げよう!」弘樹が叫ぶと、影は彼らの周りを旋回し始めた。
「呪われている…私を、私を助けて…」その声は低いが、どこか親しげでもあった。
弘樹は恐怖で震えながら、何かを思い出そうとしていた。
知識と恐怖の間に揺れる中、弘樹は思い出した。
「然の呪いは、解かれた者にしか見えないって…。だから、彼女に手を差し伸べれば…」意を決して、弘樹は前に出た。
彼は影に向かって言った。
「分かるよ、君は何を求めているのか。私に教えてほしい」
その瞬間、影は一瞬動きを止め、弘樹の目をじっと見つめた。
心の奥に潜む痛みが伝わってくる。
彼女には、壊れた過去があったのだ。
元々は笑顔だった少女が、失意の中で命を落としたのだろう、その姿になってしまった。
弘樹の心は揺れ、同情の意が湧き上がった。
「私は…助けを求めている…」彼女の声が響く。
弘樹はそっと手を伸ばし、「ここにいるよ」と呟いた。
その手が影に触れた瞬間、強烈な光が周囲を包み込んだ。
影は彼の手の中で徐々に色を失い、やがて空気に溶け込むように消えていった。
智也は、目をパチパチと瞬かせた。
「どうなったんだ…?」弘樹は静かに息をつき、思った。
「彼女は、そして皆は、私を呼んでいたのかもしれない。それを聞いて、ようやく解放されたのだ」
神社の静けさが戻ってきた。
しかし、弘樹の心には何かが変わった。
自分の中の恐怖も、未練も。
彼らが受け取った体験は、ただの怪談ではなかった。
壊れた心を癒す力が、今も彼の中に息づいているのだ。