「消えた声の縁」

夜が深まるにつれ、静まり返った小さな町に、一人の青年、健二がいた。
健二は師と仰ぐ存在である老僧侶、惣一のもとで修行をしていた。
彼は日々、心を磨いて縁を結ぶことを教わり、特に「声」にまつわる神秘について学んでいた。
しかし、惣一には、不穏な影が潜んでいた。

ある晩、健二は惣一から「この夜は特別な縁が生まれる」と告げられ、山の中にある古い寺で待機するように指示された。
彼は不安を抱えながらも、その言葉に従った。
しかし、待てど暮らせど惣一が現れない。
暗い静寂が周囲を包む中、不意に耳にした声があった。
それは柔らかく、しかし不気味に響き渡るものだった。

「健二…」その声はどこからか聞こえてきた。
まるで手招きするかのように。
彼は声の方向へ足を向けてみたが、孤独な山の中で自分ひとりという感覚が強まるばかりだった。
心の奥に何か不吉な予感が広がる。
そこで彼は自分を奮い立たせ、「惣一様、どちらにいらっしゃいますか?」と声を張り上げた。

しかし、返事は戻ってこなかった。
代わりに、さきほどの声が再び響いた。
「健二…一緒に来てほしいの…」その言葉には、どこか懐かしい響きがあった。
もしかして、自分がいつも求めていた声なのかもしれない。
心がざわめく。

勇気を振り絞り、彼は声の方へと足を進める。
暗闇に包まれた森の中を進むごとに、まるで何かに導かれているような感覚が強まっていった。
声が近づくにつれ、気がつけば自分が知らぬ間に、別の場所に足を運んでいた。

突き当たりには、薄暗い廃墟が立っていた。
その建物の中から、先ほどの声が再び響く。
驚くべきことに、そこには飾り気のない若い女性が一人、立っていた。
彼女の姿は、亡き母の面影に似ていた。
まるで数年前まで生きていたような、そんな錯覚すら抱かせた。

「あなたは、私を覚えていますか?」その声にはなじみ深い温もりがあった。

戸惑いの中、健二は思わず「母さん…?」という言葉が口をついた。
かつて一緒に過ごした日々、そして別れを告げたあの日がイメージの中に鮮明に浮かんだ。
その感情は、彼の心を混乱させた。

「縁は、時に消えてしまうこともある。でも、また繋がるためにはこの声を思い出してほしいの。」彼女の言葉は、健二を包み込むように響いた。

その瞬間、彼は気づく。
これはいたずらに空想の声が生む幻想ではなく、彼が長年求めていた「縁」だった。
惣一が常々教えてくれたように、声によって人はつながることができる。
しかし同時に、この声によって彼は何かを失う恐れがあった。

「私を通じて、新しい縁を結びなさい。」彼女の目が光り、確かに彼を見つめていた。
しかし、彼には選択肢が存在するはずだった。
このままの感覚を抱いてしまうと、再び失うことを恐れていた。

「僕は、あなたに会いたかった。だけど、もう失いたくない。」健二の声音には決意が籠もっていた。

その言葉を聞いたとたん、彼女の姿は揺らぎ、次第に消えていった。
最後に声だけが彼の耳に残り、静かな言葉で告げた。
「夜が明けるまで、あなたはこの声を守って…。それが私たちの縁だから。」

再び静寂が訪れ、健二は目を覚ました。
暗かった山の中に一筋の光が差し込んでいた。
彼は思い返す。
与えられた縁の意味を。
そして、このままではいけないと心に誓った。
新たな日が始まる中、彼は再び惣一のもとへ向かうのだった。

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