田中航は、静かな田舎町に住む普通の男子だった。
彼は幼少期から河の近くで遊ぶのが好きで、特に河の流れに魅了されていた。
しかし、町の伝説では、その河には不思議な力があり、時折姿を消す人々がいるという噂があった。
そんな話は子供の頃には興味を引いたものの、大人になるにつれて彼はすっかり忘れてしまっていた。
ある日、航は久しぶりにその河を訪れることにした。
大学の授業が終わり、暇を持て余していた彼は、心の奥にくすぶる懐かしさを抱えていた。
河辺に立つと、目の前には透明な水が流れ、大きな石が散らばっていた。
思わずその石に腰掛け、じっと河の流れを眺めていると、何かに引き寄せられるような感覚を覚えた。
その瞬間、航の脳裏に幼い頃の記憶が蘇った。
仲間たちと一緒に遊んだあの河、そして消えてしまった友人のこと。
彼もまた、河に呼ばれるように姿を消してしまったのだ。
その時の恐怖が、今、彼の心を不安でいっぱいにした。
だが、好奇心が勝り、彼はそのまま河に足を浸けることにした。
水はひんやりとして心地よかったが、次第にその感触が不気味なものに変わっていった。
静寂の中、翼のような微風が彼の周りをかすめ、何かが彼に語りかけているように感じられた。
突然、目の前の水面が波立ち、彼の目に見えない何かが映った。
驚くべきことに、それは彼自身の姿ではなく、彼の目の前で消えてしまった友人、吉田の顔だった。
「航……助けて……」
その声はかすれたように聞こえ、航の心に冷たさをもたらした。
何故彼がここに現れたのか、航は理解できなかった。
だが、吉田の存在を求めるその声音は、彼の心に深い後悔を植え付けた。
あの日、何もできなかった自分を責めるように。
航は身体が動かず、ただ呆然としていた。
しかし、吉田は水中へと消え、再びその姿を現さなかった。
彼は恐れを感じながらも、仲間を助けたかった。
果たして何が起こったのか、何をすべきか、それを知りたかった。
決意を固めた航は、河の流れに向かって叫んだ。
「吉田、私が来る!あの時、君を助けられなかった俺が……今、君を助ける!」その瞬間、河の流れが一瞬早くなったかと思うと、彼は引き寄せられ、まるで水の中へ沈み込むかのような感覚に襲われた。
その時、彼の意識は不思議な夢の中へと導かれていった。
気がつくと、航は別の世界にいた。
周りには、彼の知っている河とは全く違う水面が広がり、どこか妖しげな雰囲気が漂っていた。
「ここは……どこだ?」思わず呟くと、耳元で吉田の声が再び響いた。
「航、私を忘れないで。私を解放して……」
成す術もなく立ち尽くす航。
彼は後悔と恐れの中で動けない自分を無性に嫌悪し、河の流れから逃れることができなかった。
それでもなお、彼は吉田の声を無視することはできなかった。
「吉田、君を助けるために何をすればいいの?」
すると、周囲の水面がざわめき立ちはじめ、無数の影が現れた。
彼の周囲を取り囲む人々、彼も知っている、河で消えた仲間たちの顔が次々と浮かび上がった。
消えていく彼らの姿、届かぬ呼びかけ。
それぞれの影には、彼を呼ぶ思いが込められているように感じられた。
「消えたくない……」
その一言が、河の冷たい水面に響き渡った。
航は次第に自分の存在を取り戻していった。
仲間たちの思いを受け止め、自らの後悔を糧にしようとした時、「もう消えない!」と心の中で叫んだ。
その瞬間、彼の意識は現実に引き戻され、河の岸にいた。
水面は静まり返り、保存された安らぎ。
航は、仲間たちの思いを胸に抱き、決して忘れないようにと胸に誓った。
もう二度と消えないように。
永遠に、彼の扶けてほしい声が繰り返されるように。