「消えた友の影」

春のある日、大学生の佐藤由美は、友人たちと一緒に山の中にある古びた温泉宿に泊まることになった。
彼女たちは肝試しの一環として、宿の周囲を散策しようと計画した。
温泉宿は知る人ぞ知る隠れた名所であり、地元の伝説によれば、宿の近くには「死者を呼ぶ泉」が存在すると言われていた。

夜が迫る中、友人たちは興奮しながら集まった。
宿の廊下は薄暗く、古い木の床がきしむ音が心に不安を掻き立てる。
由美は少し気がかりだったが、みんなが楽しんでいる姿を見ると、自分も勇気を振り絞り、その場にとどまることにした。

肝試しが始まると、友人たちは温泉宿の外へと歩き出した。
月明かりに照らされた山道を進んでいくと、ひんやりとした空気が二人の肌に触れた。
周囲は静まり返り、遠くの森からは不気味な風の音だけが聞こえてくる。
由美はその異様な雰囲気に胸が高鳴るのを感じた。

すると、友人の一人が「このあたりに『死者を呼ぶ泉』があるはずだよ」と言った。
由美はその言葉を聞いてドキッとしたが、他の友人たちは興味津々の様子だった。
彼女は何かが良くない前触れのように感じたが、皆が笑っているのを見て、「私も楽しもう」と思い直した。

しばらく進むと、夜の山道の先に小道が現れ、そこを曲がると小さな泉が見えた。
泉の水は静かで、月の光を反射して神秘的な美しさを放っていた。
しかし、友人たちの笑い声はどこか遠くに感じられ、由美は一人だけがその場に取り残されたように思えた。

由美は泉の近くに立ち、心の中で「こんなに静かなのに、どうして皆が楽しんでいるのだろう」と不安に思った。
その時、ふと視線を感じ、周囲を見回すと、誰もいない。
泉の水面に映る自分の顔は、どこか無表情だった。

「由美、何を見ているの?」という声が後ろから響いた。
振り返ると友人たちが戻ってきた。
由美は安心し、笑顔を浮かべながら「何でもないよ」と返した。
彼女はその夜の出来事を忘れ、楽しむことに集中しようとした。

しかし、時間が経つにつれて友人たちの様子が変わっていった。
彼らの目はどこか虚ろで、口数も少なくなっていた。
由美は心配になり、みんなを帰ろうと促すが、誰も反応しなかった。
彼女は恐怖を感じながらも、なんとか自分を落ち着け、「まずは宿に戻ろう」と提案した。

だが、戻る途中、彼女の目の前に何か黒い影が現れた。
それは人間の形をした影で、彼女に近づくと、低い声で囁いた。
「もう帰れない…」由美は恐怖で逃げ出した。
友人たちを振り返ると、彼らの顔はそれまでの親しみのある表情と変わり果てていた。
まるで誰かが彼らの魂を奪ったかのように。

由美は一人で必死に宿へと駆け戻り、入り口のドアを叩いた。
宿の主人が開けてくれた時、彼女は涙を流しながら「友人たちが…何かおかしいの!」と叫んだ。
宿の主人は眉をひそめ、「あの泉には近づくなと言っただろう」と言った。

その夜、由美は不安で眠れなかった。
彼女の心は、「あと、何が起こるのか?」という恐れでざわざわしていた。
夢の中でも友人たちの無表情な顔が何度も浮かんでは消えた。

翌日、由美は友人たちを探しに行った。
しかし、彼女が泉の近くにたどり着くと、そこには何もなかった。
ただの静けさが広がり、友人たちの影すら見つけることができなかった。

由美はその後も何度も宿の主人に尋ねたが、彼らは「もう戻ってこない」とだけ言うばかりだった。
そして、「死者を呼ぶ泉」という伝説は、彼女の中で重く響き続けた。
彼女もまたその場所に引き寄せられる運命に導かれていたことに、気付いたのだ。

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