「浮かぶ声」

遥か彼方の山奥にある小さな村、静かな夜の帳が下りると、村の一角で奇妙な現象が起こるという噂が広まっていた。
この村は高い山に囲まれ、昼間は静寂な自然に包まれているが、夜になるとその姿が一変する。
特に、村の近くにある「浮かぶ池」と呼ばれる場所で、ひときわ不気味な出来事が起きるのだ。

主人公の篤志(あつし)は、都市から逃れ、新しい生活を求めてこの村に引っ越してきた。
彼は都会の喧騒を嫌い、静かな夜に星空を眺めることを楽しみにしていた。
しかし、村人たちとの会話の中で「浮かぶ池」についての話を耳にし、興味をそそられることになった。

村人たちは口を揃えて言った。
「夜になると池の水が浮いて、何かが現れる」と。
その話を聞いた篤志は、好奇心を抑えきれず、「今夜、浮かぶ池に行ってみよう」と決意した。

日が沈み、月明かりが村を照らす頃、篤志は静かに浮かぶ池へと足を運んだ。
何か特別なものに出会えるのではないかと期待していた。
周囲はどこか神秘的で、ただならぬ雰囲気が漂っていた。
彼が池のほとりに立った瞬間、彼は驚愕の光景を目にする。

水面がゆらめき、まるで何かがその上に浮かんでいるかのように見える。
水が逆に上昇しているのか、それとも何かが水の下から浮かんでくるのか。
篤志は身動きできず、その様子を見守った。

突然、鯉のような魚の姿が水面から出てくる。
しかし、その魚はどこか異様で、身体が半透明な青白い光を帯びていた。
篤志は恐怖心に襲われたが、目が離せなかった。
すると、魚がゆっくりと彼の方を向き、まるで彼に語りかけているように感じた。

「こっちに来い」と、耳の奥で囁く声が響いた。
篤志はその声に導かれるように、池の水に手を伸ばした。
その瞬間、泡立つ水面に指が触れ、ひんやりとした感触が広がる。
続く言葉は理解できなかったが、心の奥に「引き寄せられる感覚」が湧き上がってきた。

突然、周囲が音を立て始め、風が吹き荒れた。
彼の目の前で池の水が大きく膨張し、さらに光り輝く多数の魚が次々と現れた。
これらの魚たちは、まるで篤志を囲むように集まって行く。
彼は家に帰ろうとするが、足が動かない。
池の前で立ち尽くしたまま、恐怖に震えている。

その時、村人のひとりが近くを通りかかった。
「何をしている?」と声をかけられ、篤志はようやく我に返る。
「浮かぶ池の…魚が…」篤志は震えながら答えた。
しかし、村人は冷ややかな目で彼を見つめ、「その池には近づくな」と警告した。

「池に泳ぐのは、亡き者たちの浮かぶ姿だ。彼らは現世に未練を残し、引き寄せたい思いを持つ人を求めている」と。
篤志は驚愕し、急いでその場から逃げ出した。
しかし、自宅に帰ると、夢中で見た光景が頭から離れず、それらが水の中で彼に訴えかけているように感じた。

その日以降、篤志は夜になると不思議な声が聞こえるようになった。
「こっちに来い、こっちに来い」と、浮かぶ池の声が呼びかけてくる。
彼の心は日々その声に引き寄せられ、再び池を訪れたくなる衝動に駆られるようになっていた。

彼は意識を失いかけるほどの欲望に駆られつつ、しかしその恐怖は忘れずにいた。
最終的に夜が訪れたとき、篤志は完全に池に望んでいた。
足がもう動かなかった。
池の水面が波打ち、すべての声が彼に向かって叫んでいるように感じた。
「来てくれ、私たちの仲間になってくれ…」

彼はついにその声に導かれ、池に飛び込んだ。
瞬間的に冷たい水に包まれ、意識を失った。
その日から、彼の姿は村の人々には見えなくなり、浮かぶ池の中には新たな魚が現れたという。
水面には「彼」はもう見えず、ただ冷たい静けさが続くのだった。

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