静かな村の外れには、誰も近づかない「泣き水」という名の池があった。
村人たちはそこを恐れ、「あの水は凶悪な伝説がある」と口を揃えて言った。
その理由は、池の水がいつも不気味にぬるぬるしていて、ひとたび触れればその者を不運に陥れると噂されていたからである。
池の近くに住む青年、翔は、そんな話には興味がなかった。
若さと好奇心から、彼は夜の闇に包まれた村を抜け出し、泣き水を見に行くことにした。
深夜、月明かりが照らす中で少しずつ進んでいくと、静まり返った池の周りには、ひんやりとした湿気が漂っていた。
翔は池のふちに座り込むと、澄んだ水面を見つめた。
水面は静かに波打ち、何かが潜んでいるような気配を感じた。
それでも彼の心には不安はなかった。
「ただの水だ」と自分に言い聞かせ、彼は手を伸ばした。
しかし、指先が水に触れた瞬間、凍りつくような恐怖が心に走った。
水は冷たいだけでなく、まるで彼を引き込もうとするかのように、かすかに引力を持っていた。
翔は驚き、すぐに手を引っ込めた。
その時、池の水が急にざわざわと音を立て、一筋の水しぶきが彼の顔にかかる。
冷たい水滴が降りかかり、彼は恐怖で身震いした。
その瞬間、池の奥から微かな声が聞こえてきた。
「助けて…。私を解放して…。」驚いた翔は、声の主を探して周囲を見回したが、誰もいなかった。
声は水の中から出てくるようで、彼の心に直接響いてくるようだった。
いつの間にか、彼の心は恐怖と不安でいっぱいになってきた。
心臓が高鳴り、その場から逃げ出したい気持ちと、声の正体を知りたい気持ちが交錯する。
しかし、翔は不思議と動けなかった。
「お願い…助けて…。」声はさらに迫ってきた。
それはまるで、水面が彼を引き寄せようとしているかのようだった。
と、その時、水面がさらなる波を立て、目の前に一人の若い女性が現れた。
彼女は白い着物をまとい、髪は水に濡れて長く垂れ下がっていた。
彼女は悲しみを帯びた表情で翔を見つめ、再び言った。
「助けて…。私はここから出られないの。」彼女の見た目には、なぜか翔の心を惹きつける何かがあった。
翔は彼女が何かに苦しんでいることを感じ、心を決めた。
「どうすれば、あなたを助けられるの?」その問いに、彼女は優しく微笑んだ。
「私の記憶を返して…。この池に私の痛みが封じ込められているの。」
翔はその言葉に戸惑いつつも、一か八か、「私はあなたの記憶を受け取る」と言った。
彼の言葉に反応するかのように、水面はさらに波立ち、翔の体が水の中に吸い込まれていく。
彼は水の中で、女性の記憶の映像を次々と見せられた。
それは彼女が愛した人を失った瞬間、彼女の心に刻まれた痛み、その孤独が描かれていた。
翔は恐怖に目を閉じ、心の奥深くで彼女の痛みを感じ取り始めた。
しばらくの間、彼は彼女の過去を引き受け、彼女の悲しみと向き合っていった。
さらに彼女の痛みが優しく彼の心に溶け込むと、藤の花の香りが漂い、彼の心が静かになった。
やがて水面が静まり、女性は翔の目の前で微笑みながら言った。
「ありがとう…。私は解放されたの。」
その瞬間、彼女の姿が徐々に消え、池の水は澄み切った青色を取り戻した。
翔は池のそばに座り込んで、深い安心感に包まれていた。
もう一度池を見つめると、そこには何もなく、ただ水の波音が優しく響いているだけだった。
翔はそこで自分が何をしたのか理解した。
池の水は彼女の痛みを象徴し、自分が受け入れたことで彼女は自由になったのだ。
村に戻ると、彼はその後も続く静けさと、伝説の真実を心に留め、泣き水のことを語り続けることにした。
皆が恐れていた池が実は、一つの解放の場所だったことを。