下の村には、かつて名の知れた師匠が住んでいた。
彼の名は高道。
高道は数多くの弟子を育て上げ、村の誇りとされていた。
しかし、村に突如現れた凶作や疫病を前に、彼の教えも無力であることが露呈し、弟子たちは次第に姿を消していった。
ある晩、高道はため息をつきながら古い書物を読み返していた。
思い出の弟子たちの顔が、次々と心に浮かんでくる。
特に、彼が最後まで面倒を見ていた青年、健二のことを思い出した。
健二は優れた才能を持ち、先生の期待を一身に背負っていたが、村の事情に耐え切れず故郷を去ってしまったのだ。
高道は、健二が帰ってくる日を待ち望んでいた。
だが、それから数年が過ぎても彼の姿を見かけることはなかった。
ある夜、月明かりが優しく村を照らす中、高道は一つの不思議な夢を見た。
夢の中で、健二が薄暗い道を歩いてくる姿が見えた。
高道はその夢を心に刻み、弟子を呼び寄せるために行動を起こす決意を固めた。
数日後、高道は大きな木の下に供え物を用意し、健二の無事を祈った。
そして「帰ってこい」と呪文のように繰り返した。
すると、空気が一瞬冷たくなり、木の幹に奇妙な跡が現れた。
何かがこの世に引き寄せられようとしているような感覚。
その翌日、高道が目を覚ますと、村に異変が起こっていた。
村人たちが朝から何かに怯えている。
話を聞いてみると、夜毎に夢の中に健二の姿が現れ、家々の周りをうろつくというのだ。
その影が人々の心を不安にさせ、村全体に不穏な空気が漂っていた。
高道はこれは自分の行動が招いた結果だと理解した。
彼は急いで村の中心にある小さな祠に向かい、健二の霊を静めるための儀式を執り行った。
彼の心の内には強い後悔が渦巻いていた。
自分だけの期待で、弟子をこの世に引き留めることがどれほど危険であるのかを、少しずつ悟り始めていた。
夜が更ける中、儀式が進むにつれて、健二の幻影がゆっくりと姿を現した。
高道は彼に呼びかけた。
「なぜ戻って来たのか、私の呼びかけに応えたのか?」と。
しかし、健二の目には悲しみが宿り、どこか遠い存在のようだった。
彼は返答せず、ただ立ち尽くす。
高道は思わず動揺し、「これ以上、私のために苦しむことはない。どうか、私の呼び声を聞かなかったことで、これ以上の跡を残さないでくれ」と叫んだ。
すると、健二の姿が急に薄くなり、木に残る跡がさらに深く刻まれる。
その晩、高道は深い眠りに落ちた。
夢の中に再び健二が現れるが、今回は彼の笑顔ではなく、周囲の霧に包まれた悲しい表情だった。
高道は目を覚ますと、村が静まり返っていることに気がついた。
戻るべき場所をなくした村人たちは、その後も不気味な影に怯え、高道は自らが呼び寄せてしまった罪の重さを背負いながら、ただ一人、教え子の跡を追う日々を過ごしている。
それ以来、夜ごとに耳を澄ませると、どこからともなく健二の呼び声が響いてくるように感じ、彼が帰ることのない現実を知るのだ。
村の空気の中に、健二の影が永遠にまとわりついているかのように。