春の訪れと共に、温かい日差しが街を包み込む頃、佐藤健一は幼馴染の美奈子と一緒に、近くの公園へと向かうことにした。
二人は相変わらずの気心の知れた友人で、子供の頃からの思い出が詰まった場所だった。
特に、あの大きな桜の木の下でのんびりと過ごした日々が、今でも鮮明に思い出される。
公園に到着すると、一面の緑が広がっていた。
この時期の公園は、春の訪れを感じるにはもってこいだった。
しかし、彼らが公園に入ると、どこか妙な静けさが漂ってきた。
普段なら子供たちの声や笑い声で賑わっているはずなのに、その日は周囲には誰も見当たらなかった。
「おかしいね。最近は天気もいいのに、誰もいないなんて」と健一が言うと、美奈子も不思議そうに頷いた。
「今日は特に温かいのにね。」何か異様な空気が漂っているのを感じながらも、二人は桜の木の下に腰を下ろした。
しばらくしていると、突然健一の目が桜の木に引き寄せられた。
彼が目にしたのは、桜の幹に刻まれた「止」という文字だった。
「これ、見たことある?」彼は美奈子に尋ねた。
しかし、美奈子は首を横に振るだけだった。
二人でその奇妙な字を観察していると、心のどこかに不安が広がり始めた。
「ねぇ、ちょっと気味悪いね。」美奈子が言うと、健一も同意し、彼はその場を立ち上がった。
「帰ろうか、何か嫌な感じがする。」しかし、美奈子は動こうとしなかった。
「待って、もう少し、ここにいたい。」
その瞬間、突然、周囲の空気が変わった。
温かな春の風が、まるで冷たい手に変わったように感じられ、二人は身震いした。
健一が振り返ると、美奈子が桜の木に触れようとする姿が見えた。
彼は驚き、「美奈子、やめて!」と叫んだが、声が彼女の耳には届いていないようだった。
その時、美奈子の手の先に白い影が現れた。
細長い形をしたその影は、まるで何かに捕らわれているかのように、桜の木へと吸い込まれるように消えていった。
「美奈子!」健一は急いで彼女のもとに駆け寄ったが、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。
まるで現実から隔離されたかのような時間が過ぎ、健一は混乱しながら公園を走り回った。
どんなに探しても、美奈子の姿は見えなかった。
その日は次第に暗くなり、彼は公園の出口に立ち尽くした。
数日後、健一は友人たちに美奈子の行方を尋ねたが、誰も彼女のことを知らなかった。
彼は、今でも公園で見たことを信じられないでいた。
自分の目の前で、友人が消えてしまったその光景が、彼の心の中でずっと止まっていた。
日が経つにつれて、美奈子のことを考えるたびに、胸の奥に冷たい感覚が戻ってきた。
彼は彼女が消えた桜の木のことを思い出し、もう一度その場所を訪れることに決めた。
あの日の公園を再訪した時、健一は再び「止」の文字を確かに見つけた。
しかし、今度はその横に新たな文字が現れていた。
「戻れ」と、恐怖の念が湧き上がる。
彼がその文字を見つめていると、またもや影が浮かび上がってきた。
今度はその影が彼の方へ近づいて来た。
「美奈子!」健一は凍りついた。
影の形が徐々に整っていくにつれ、彼は愕然とした。
そこにいるのは、かつての美奈子そのものだった。
しかし、彼女の目は虚ろで、まるで何かに取り憑かれているかのようだった。
「戻れ…」彼女は微かに囁いた。
その言葉は、彼の心を深く突き刺した。
あの時、彼女を止めることができなかった自分の無力さに、彼は感じる恐れを抑えきれず、背を向けた。
そして、全力で公園を飛び出した。
その後、彼は二度と桜の木の下には近づかなかった。
彼の心の中に残るのは、決して忘れられない美奈子の存在と、「止まるな」という警告だけだった。
時間が経っても、彼の中で美奈子の声が鳴り続けている。
この恐怖の記憶は、彼の心に深い傷を残していた。