「桜の影に宿る声」

帯の町に住む裕二は、毎晩のように散歩をするのが日課だった。
静かな夜空の下、彼はいつも同じ道を歩き、その途中にある公園で一息つく。
公園には古い大きな桜の木があり、その木の下にはいつも不思議な感覚が漂っていた。
裕二はその木を見上げるたびに胸がざわめくのを感じるが、それが何故なのかは分からなかった。

ある晩、裕二は普段とは違う時間に散歩に出かけた。
月明かりが薄暗い街を照らしている。
公園に着くと、いつも通り桜の木の下に座り、少しの間景色を楽しんだ。
すると、何かが彼の視界の端に映った。
目を凝らしてみると、桜の木の幹が赤く染まっているように見え、その周りには薄暗い霧が立ち込めていた。
裕二はその不気味さにぞっとしながらも、気になって近づいてみた。

その瞬間、彼の耳に「き」という声が響いた。
裕二は思わず振り返ったが、周囲には誰もいなかった。
冷たい風が吹き抜け、木の枝がさやく音がした。
鼓動が速くなり、恐れと好奇心が交錯する。
何かを感じた裕二は、桜の木に手を伸ばす。
すると、木の幹から優しい温もりが伝わってきた。
だが、それが現実のものとは思えないほど異様な感覚だった。

次第に、裕二の視界に異変が生じた。
木の周りに立ち尽くしている影が見える。
彼は驚いて後ずさりした。
「か、か何?」と思わず声を漏らす。
その影は徐々に形を成し、桜の木と一体化していった。
その時、裕二は考えもつかない現象を目の当たりにする。
影の中から、無数の顔が現れ、それぞれが何かを訴えかけるように彼を見つめていた。
それはかつてこの地に生きていた人々の顔だった。

恐ろしい思いに駆られた裕二は逃げ出そうとしたが、足がすくんでしまい動けなかった。
影は徐々に彼の方へ近づき、「怪」と呼ばれた存在であることを知らせるかのように声を重ねた。
裕二の頭の中に何かが渦巻く。
彼はかつての悲劇、ここでの未練がこの地に留まっていることを理解した。
それは、まるで彼自身に向かって語りかけているようだった。

裕二はようやく恐れを振り切り、影に向かって言った。
「あなたたちの思いを知りたい。廻り続ける悲しみに気づかせてほしい。」その言葉が響いた瞬間、影たちは静かに反応した。
彼らは彼に、過去の出来事を見せると言った。
裕二は目を閉じ、彼らの声に耳を傾ける。

彼の目の前に映し出されたのは、帯の町に住んでいた人々の笑顔と涙だった。
幸せな瞬間から悲劇の幕開けまで、全ての出来事がつながっているのを見た。
そして、裕二は彼らの未練がこの木に宿っていることを肌で感じ取った。
彼は心の底から思った。
「私がこの町を離れない限り、きっとあなたたちを忘れない。」

気づくと、影たちは徐々に薄れていき、裕二の前から消えてしまった。
静かな夜が戻り、桜の木は以前よりも鮮やかな色を帯びていた。
彼はその場にしばらく佇み、自分の心に広がる感情を噛み締めた。
裕二は再びその公園に足を運ぶことを決意する。
今度は、影たちの伝えた思いを胸に、人々に語り継ぐために。
彼の中で新たな物語が始まったのだった。

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