「月明かりの未練」

月明かりに照らされた古びた庭。
この場所には、かつて多くの笑い声が溢れていたが、今は静寂につつまれていた。
家族が去った後、この家には誰も住んでおらず、ただ霊たちだけが残っている。
ある晩、不思議な気が漂うこの庭に、一人の青年が足を踏み入れた。
名前は悠斗。
彼は好奇心からこの廃屋へと向かったのだ。

悠斗は、幼少期に聞いた「未練を残した霊が現れる」と言われるこの家の話を思い出しながら、心のどこかで恐怖を感じていた。
しかし、それ以上に未知の体験を求めていた。
庭に一歩踏み込むと、冷たい風が彼の背を押すように吹いた。
次の瞬間、彼の目の前に一筋の影が現れた。

その影は、かつてこの家に住んでいた老婦人の姿。
彼女の名は澄子。
生前は温かい笑顔で家族を迎え入れていたが、死後は未練を残してしまった。
悠斗はその姿に驚き、動けなかった。
澄子は彼に向かって小さく手を振った。
それはまるで「ここにいて」という温かな招きのようだった。

「け、けれど…」悠斗は声を震わせた。
「これは夢なのか?」

澄子は微笑み、少しずつ近づいてくる。
悠斗は心臓が高鳴るのを感じながらも、彼女の目に引き寄せられるように進んでいった。
すると、老婦人の周りにかすかな光が灯り始めた。
それはまるで彼女の未練の象徴のようだった。
悠斗は思わず、一歩下がった。

「あなたには気を感じるのね」と澄子が優しく囁く。
「この家には、私が守ってきた思い出が詰まっている。私の心はここにあるの…」

その言葉に、悠斗は胸が締め付けられる思いがした。
澄子の語る未練や思い出が、彼の心に深く響いた。
しかし、彼には恐怖もあった。
彼女がどこかで手を伸ばしてくるのではと怯えた瞬間、澄子の姿が少しずつぼやけていく。

「未だ、私の思い出を見つけてほしい」と澄子は続ける。
「忘れられたくないの…」

悠斗はその言葉が重くのしかかる。
彼はこの家の過去に何があったのか、知りたいという気持ちが沸いてきた。
しかし同時に、彼は澄子の未練に巻き込まれたらどうなるのか不安に思った。
彼は足を一歩踏み出すことができず、その場に立ち尽くした。

「び、びびっているのね?」澄子は少し笑ったように見えた。
その瞬間、悠斗は一瞬の勇気を振り絞る。
「何を見ればいいの?」

澄子は優しく微笑みながら、庭の奥に目を向けた。
そこには朽ちた門があり、その奥にかつて澄子が愛した花々がまだ咲いているようだった。
「あの門をくぐって、私の思い出を見つけて…」と静かに促した。

悠斗は恐る恐るその門に向かい、一歩一歩進んでいく。
入口に差し掛かると、澄子の声がさらに強く感じられた。
彼は目を細め、奥を覗き込む。
すると、心の奥底から懐かしい風景が蘇ってきた。

澄子と彼女の家族が笑顔で、庭で楽しむ姿。
それが悠斗の目の前に広がり、彼はその光景に心を奪われた。
彼は一体何を見ているのかと、その風景に引き込まれていく。

振り返ると、澄子の姿はすでにない。
ただ心地よい風と、彼女の笑顔が消えた後の温もりだけが残っていた。
悠斗はそれを心に刻みながら、静かな庭を立ち去った。
未練を抱える存在が、実際に触れられる思い出として彼の心に生き続けることを感じながら。

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