静かな田舎町にある古い旅館「月影荘」は、かつて賑やかな宿泊客であふれていた。
しかし時が経つにつれ、訪れる人は少なくなり、今ではほとんどが廃れたような存在だった。
そんな旅館には、「亡霊の宿」としての名声があった。
それは、かつてここで過ごした人々の中には、未練を残したまま命を落とした者がいると言われていたからだ。
その夜、大学生の和也は友人と共に肝試しに訪れた。
和也は心霊現象を信じていないタイプで、むしろそのような話を面白おかしく語るのが好きだった。
しかし、この旅館には不気味な雰囲気が漂っており、彼も少しばかり緊張を覚えた。
友人たちとともに旅館に足を踏み入れると、薄暗い廊下には古い木造りの床がきしむ音が響く。
周囲にはかすかに感じる温もりがあり、まるで過去の宿泊客が今もここにいるようだった。
和也は、「さあ、肝試しを始めよう」と言いながら、廊下を進んでいく。
旅館の奥にある部屋に向かうと、そこには古い鏡が飾られていた。
その鏡には、この旅館の名物とも言える「亡霊の映る鏡」としての逸話があった。
鏡の前に立つと、和也はその不気味さに少し引きながらも、興味をそそられた。
「そんなの信じられないよ」と嘲笑うように言うと、鏡の中の自分の顔がゆっくりと変わり始めた。
彼の背後には、かすかに白い影が映り込んだ。
それは女の姿で、悲しげな表情を浮かべている。
「おい、見てみろ。何か映ってるぞ」友人が叫ぶと、その影は瞬時に消えた。
和也は一瞬の恐怖に戸惑った。
「ただの光の加減だろ」と自分を励ますも、心の中には不安が募っていく。
和也は鏡を見続けることができず、視線を外した。
その時、ふと耳元で「助けて…」という微かな声が聞こえた。
彼は振り返ると、その声の正体を探すように廊下を見渡したが、誰もいない。
次第に声が強くなり、まるで彼に向かって叫んでいるように感じた。
彼は恐怖で逃げ出そうとしたが、足がすくんで動けなかった。
その時、背後から冷たい風が吹き抜け、再び鏡を見ると、今度は女の顔がもつれた髪をかき上げながら、和也を見つめていた。
「この場所から出られない…」その女の声は、まるで悲しみの叫びのように響く。
彼は瞬時に理解した。
女の名は「美咲」。
彼女は旅館に宿泊していた時に、突然の事故で亡くなり、未練を残したままこの場所に留まっている。
その魂は、他の宿泊客との縁を求めていた。
和也は恐怖に駆られながらも、「どうすれば、あなたを助けられるの?」と問いかけた。
美咲は静かに微笑み、そしてそのまま彼に向かって手を差し伸べた。
「もう一度、私を思い出してほしい。私の心が昇るためには、あなたの思いが必要なの」和也の心の中には、美咲の哀しみが深く刻まれていく。
彼は迷ったが、その手を取る決意を固めた。
その瞬間、周囲の空気が変わり、部屋が白い光に包まれた。
和也の心に彼女の思いが流れ込み、彼女の魂を解放するための使命感が生まれた。
彼は自らの恐怖を振り払い、美咲に向かって大声で叫んだ。
「もう大丈夫、あなたは一人じゃない!」
その言葉が響くと共に、美咲の存在が明らかに消えていき、足元には小さな光の球が浮かび上がった。
それは彼女の魂が昇る証だった。
旅館の空気が一瞬温かく包まれ、和也の心も温かさに満たされた。
しばらくして、和也たちは旅館を後にした。
恐怖は消え去り、美咲の存在が彼の心に残った。
彼はこれからも彼女の思いを大切にし、供養することを決意した。
この経験を通じて、彼は死者との縁の大切さを実感し、新しい友人ができたような気持ちで胸がいっぱいになったのだった。