「書かれた業の望み」

私の名前は美咲。
結婚して3年目の専業主婦で、夫の健太と共に穏やかな日々を過ごしている。
数ヶ月前、健太の祖母が亡くなり、彼の実家に残された古い家に引っ越すことになった。
その家には、長い間誰も住んでいなかったため、薄暗く、どこか気味の悪い雰囲気が漂っていた。

引っ越し後、特に何もない日々が続いていたが、ある夜、台所で料理をしながら、健太と話していると、ふと居間から書き物をする音が聞こえた。
最初は風の音かと思ったが、耳を澄ますと、はっきりとした「書く」という音が聞こえる。
どうしたのか不安になり、健太に尋ねたが、彼は驚いて「何も聞こえない」と言う。
私一人だけが聞こえているのだろうか。

その晩、私は夢を見た。
夢の中に現れたのは、祖母に似た女性で、彼女は静かに私に語りかけてきた。
「この家には、私の望みが残っている。私が書かなければならないことがあるの」と。
その言葉に私は心を打たれ、不思議な感覚に包まれた。
目が覚めた瞬間、私は背筋が寒くなった。

次の日、居間の一角にあった古い机に目が留まる。
ひび割れた木製の机は、装飾が施され、手作りの感があふれていた。
恐る恐る近づくと、その上には未使用のノートとペンが置いてあった。
自然に手が伸び、私はそのノートを開いてみた。
ページは真っ白で、何も書かれていない。
しかし、急に心の中に湧き上がる思いがあった。
それは、私が感じていた祖母の望みだ。

その日から、ノートに傾けた気持ちを書き留めることにした。
自分が感じたことや、祖母のこと、そしてこの家の不思議な出来事についても。
それを健太に話すと、彼は「それは面白いアイデアだ」と言ってくれた。
しかし、彼はその後も書く音を聞くことはなかった。

日に日に、ノートのページは埋まっていった。
不思議なことに、書いている内容が次第に具体的なものになり、祖母が亡くなった理由や、彼女の過去の思い出が浮かび上がってきた。
ある晩、私は夢の中で祖母に再び会うことになる。
彼女はニコリと微笑み、「それが私の望みなの。私が伝えられなかったことを書き留めてほしい」と言った。

だが、その言葉は同時に不気味な警告でもあった。
ノートを埋めるにつれて、次第に私の周囲の空気が変わっていった。
家の中には、彼女の存在感が強まるように感じた。
そして、ノートに書き込むたびに、まるで何かが私にも乗り移っているかのような薄気味悪い感覚がつきまとった。

ある晩、私は目を覚ました。
目の前には、ノートが開かれ、真っ白なページに見知らぬ文字が書かれていた。
恐怖に駆られながらも、その内容を目にすると、自分が知っているのに信じられない事実が浮かび上がった。
それは、健太の家族の悲しい歴史であり、祖母が叶えられなかった望みがあったのだ。

「あなたが知ってしまったことは、決して戻らない。本当に私の望みを叶えたいなら、代償を払ってもらう」と、ノートの文字が誘っていた。
恐ろしさに耐えきれず、ノートを閉じてしまった私は、眠れぬ夜を過ごした。

翌朝、健太にすべてを話そうと決心した。
しかし、彼はまるで私の話を受け入れようとしなかった。
私は再びノートの世界に呑み込まれていった。
そして、ついには、自らの望みに押し潰されてしまったのだった。
夜な夜な書かれる音は、今でもこの家の中で響き渡っている。
私が書き続けた思いは、もう私の手を離れ、業のように次の受け手を探し続けているのだ。

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