春のある穏やかな午後、佐藤健太は友人たちと一緒に、山の中にある小さな神社を訪れることにした。
その神社では、古くから「時を戻す神」として知られており、願いをかけると過去の選択をやり直す機会を与えてくれるという言い伝えがあった。
仲間たちは軽い気持ちで健太をからかいながらも、神社へ向かうことにした。
神社に着くと、健太は特に何かを願うつもりはなかったが、心のどこかで過去の失敗や後悔が彼を引きずっていた。
高校時代の恋愛、友人との無用な争い、そして、自分の夢を追うことをためらったあの日々。
その想いを胸に、健太は神社の前で手を合わせることにした。
「もう一度、やり直したい…」と心の中で呟いた。
ふと気づくと、友人たちが笑い声を上げながら、神社の裏手にある小道を歩いていた。
どうやら、その道の先にある滝を見に行くつもりらしい。
健太は彼らに続き、少し遅れて小道を進んでいった。
この道は、神社の背後にある森に続いており、どこか不気味な雰囲気を漂わせていた。
その瞬間、不意に工事のような音が響き渡り、健太は思わず立ち止まった。
ふと気がつくと、友人たちの姿が見えなくなっていた。
少し不安になった健太は、友人たちを呼びながら歩き続けた。
しかし、なんの反応もなく、ただ静けさだけが周囲を包んでいた。
その時、健太は異様な感覚に襲われた。
時間が止まったかのような静けさ、そして、どこからか漂ってくる異臭。
急に顔を上げた健太の目の前には、朽ちた木々と、自分が予想もしなかった奇怪な光景が広がっていた。
そこには、無数の時計が木にぶら下がっており、全ての針は逆回りに動いていた。
健太は背筋が凍る思いがした。
「戻りたい時があるのか?」という低い声が木々の間から響いてきた。
健太は驚きと恐怖で声も出せなかった。
その声の主を探すように周囲を見回すと、次第に影が集まり、一人の老いた男の姿が現れた。
男は不気味なくぐもった笑みを浮かべながら、健太に向かって手を差し伸べた。
「時を戻したいというのなら、代償を払う必要がある。お前の大切なものを一つ、私に捧げよ。」
健太の心臓が高鳴った。
彼は思わず過去の出来事を振り返った。
友人たちとの思い出、お世話になった家族、そして何より、自分自身の未来。
どれも大事なものだ。
しかし、このまま本当に時を戻さなければ、自分はこのまま失ってしまうかもしれないという恐怖が彼を襲った。
「私は…」健太はもはや迷うことはできなかった。
「一度失った友人との関係を…もう一度戻したい。」
男は静かに頷くと、「よかろう。今、お前の願いが叶う。」と言った。
その瞬間、健太はまるで引き裂かれるような感覚に包まれ、目の前が真っ暗になった。
気がつくと、健太は神社の前に立っていた。
周囲を見渡すと、友人たちと明るく笑いながら談笑する声が聞こえた。
だが、心のどこかがざわつき続けていた。
運命は確かに変わったが、彼は何か重要なものを失った気がした。
その後、健太は以前よりも友人たちとの関係を大切にするように心がけた。
しかし、それと同時に心の奥深くには、再び失うかもしれない恐怖が常に付き纏っていた。
時を戻した結果、過去の結果が変わることはあったが、心の中の不安は依然として消えることはなかった。
彼は気づいた。
過去を戻すことはできても、真実の自分を見失ってしまったのだと。
目の前の幸せを享受しつつ、いつまでもその影に怯える、そんな日々が続くのであった。