ある夏の晩、少年の健太は、友人たちと共に近くの小山にある古い窟(いわや)を探索することに決めた。
窟は地元の伝説にまつわる場所で、かつては悪霊が棲むと言われ、誰も近づかない禁忌の地とされていた。
しかし、この日の興奮と探究心は、恐れをすっかり忘れさせていた。
友人たちと共に窟の入り口に立った健太は、皆の声を背に感じながら、一歩ずつ中に踏み入った。
薄暗い空間には、ほのかに地面に這う苔の香りが漂い、時折耳に当たる冷たい風が、窟内の異様な静けさを一層引き立てていた。
仲間たちは「気をつけろよ!」と笑い合いながら進んでいったが、健太は何かが違うと感じ始めていた。
窟の奥へ進むにつれ、彼の心に不安が広がる。
時が止まったかのような感覚が続き、ふと気がつくと、周囲はまるで薄い幻のように歪んで見えた。
彼は目をこすり、再び周囲を見渡した。
すると、奥の壁に不鮮明な影が映り込んでいるのが見えた。
それは、まるで誰かがこちらを見ているかのような視線だった。
健太は、友人たちにこの奇妙な現象を伝えようと振り返ったが、彼らの姿はすでに視界から消えていた。
心臓が高鳴り、汗が背中を流れる。
彼は焦りながら後ろに戻ろうとしたが、壁に手を触れた瞬間、何かに引き寄せられる感覚を覚えた。
まるで、時空を超えて過去や未来の真実がそこに待っているかのようだった。
「助けて…」と、小さな声が耳に響く。
健太はその声の方へと進んでいく。
声の主は明らかに少年のようで、少し怯えた様子が感じられた。
「誰かいるの?」健太は声をかけるが、答えはなく、ただ静寂だけが返ってきた。
時が経ったのか、それとも瞬時の出来事だったのか、目の前に現れたその影は、次第にクリアになり、彼がかつて遊んでいた時の友人、翔太の姿だった。
翔太はその時、笑顔で「おい、健太、ここにいるよ。早く来て!」と呼びかける。
だがすぐに、その顔は恐怖にゆがみ、「ここから出られないんだ…」とつぶやく。
健太は叫ぶ。
「翔太!どうしてここにいるんだ?」翔太は冷たい視線を向けた後、「真実を知った者は、出られない。僕たちは、止まった時の中にいるんだ」と告げた。
彼の言葉によって、健太は窟の恐ろしい真実に気づいた。
ここは、時間の流れが歪む場所、行く者の意識を絡め取る幻の世界だったのだ。
彼は必死になって出口を探したが、壁は固く、進んでも進んでも同じ場所に戻ってくる。
まるで時が無限に続くかのように。
翔太の姿も徐々に薄れていく。
彼の目に映るのはまだ無数の影たち、彼の前をうごめく様々な存在が、その場に囚われ続けているようだった。
「助けて、健太…」翔太の声が薄れゆく。
この声は幻か、真実なのか。
彼の意識が引き裂かれる瞬間、健太はその場から逃げ出そうと奮い立った。
心の奥底から叫び声が湧き上がる。
「僕は、ここから出るんだ!絶対に出る!」
健太は全力で奔走した。
光が差し込む出口を目指し、迷い込んだうねうねとした道を必死に駆け続けた。
やがて、彼は光が見える入り口へとたどり着いた。
最後の瞬間、健太は心の底から自らに言い聞かせた。
「時間を信じて、進め!」
彼が一瞬で光に包まれた次の瞬間、窟の外に倒れ込んでいた。
周囲には友人たちの声が聞こえる。
彼の意識は切り替わり、まるで全てが夢であったかのようだった。
だが、心の奥に残る翔太の声は、健太の胸に重く響いていた。
「忘れないで、戻ってはこないこと…」
彼はそれから、一度もその窟に近づくことはなかった。
時の流れは彼を解放したが、彼の心には、友を失った影がいつまでも消えない、深い悲しみとして刻まれていた。