「時の囁き」

大学の図書館には、一部の学生の間で「触れてはいけない」と噂されている古い「庫」があった。
この庫は、近年使用されていない書籍がひしめき合っており、薄暗い隅に埃をかぶった本や古い紙が散在していた。
庫の入り口には、錆びた鍵がかかっていて、通りかかるだけでも不気味な気配が漂っていた。
しかし、好奇心旺盛な大学生・佐藤晴樹は、その秘密を知りたくてたまらなかった。

ある雨の夜、外はひんやりとした風が吹き、窓の外では露がしずくを落とす音が響いていた。
晴樹は友人たちと小さな肝試しを計画し、この神秘的な庫に忍び込むことに決めた。
彼らは薄明かりの中、静まり返った図書館の廊下を進み、最終的にこの禁断の場所に辿り着いた。

「本当に入るのか?」と、気弱な友人の中村が不安そうに尋ねた。
しかし、晴樹は構わずドアを押し込んだ。
ギ creak と音を立てて開かれると、彼らは暗闇に包まれた庫に足を踏み入れた。

中はひどく寒く、空気が重く感じられた。
薄明かりの中、彼らは傾いた本棚や、古い書籍が積み重なった風景を見渡した。
その瞬間、倉庫内で微かな音がした。
まるで誰かが聞こえない声で囁いているように、低い音が不気味に響いていた。

「もし誰かがいたら、出てきてくれ!」晴樹は冗談半分で叫んだが、返事はなかった。
その代わりに、庫の一角からかすかな揺らぎが感じられた。
その瞬間、庫の本が風もないのに次々と崩れ落ちる音が響き渡り、「い」という声が重なるように聞こえた。

「何だ、あの声!」と、友人たちの顔が青ざめる。
晴樹も動揺したが、興味が勝り、音の正体を探ることにした。
音のした方に歩み寄ると、彼は古びた本の間に何かが隠れているのを見つけた。
それは、列記として並べられた古い日記だった。
ページはくたびれており、かすかに湿気を含んでいた。

日記を開くと、そこには時の流れが語られていた。
書かれている内容は、数十年前にこの図書館に通わせた学生の青春の思い出や、忘れ去られた恋の物語だった。
しかし、読んでいるうちに晴樹は違和感を抱く。
そこに描かれている出来事が、どこか未来の出来事や彼自身の経験と重なっていたからだ。

その時、庫の隅から「い」という声が強まった。
振り返ると、背後には漠然とした人影が立っていた。
姿は見えないが、その存在感は明らかに異常を引き起こしていた。
彼は背筋が凍り、恐怖に耐えながらその場から後ろに下がろうとした。

しかし、声は彼を呼び寄せる。
「戻りなさい。時が戻ってくる…」と。
その言葉に、晴樹は自分の過去の選択や後悔が浮かび上がった。
彼は次第にその声の魅力に引き込まれ、何かが彼を誘っていた。
引き戻すために声をかけようとしたが、言葉が喉に詰まり、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

友人たちは逃げようとしているが、晴樹だけはその存在に引き寄せられて動けなかった。
いまだに「戻りなさい」と囁く声の中で、彼は自分がどの時代にいるのか、何をするべきなのか分からなくなってしまった。

雨音が遠くから聞こえ、明かりがかすかに落ちると、ついにその人影が近づいてきた。
目の前に立つと、その顔が見えた瞬間、猛烈な感覚が彼を包み込み、意識が途絶えそうになった。
彼はそこで、時が戻ることの恐ろしさを肌で感じ、決して忘れられない経験をしたのだった。

目覚めると、晴樹は図書館の外で友人たちに囲まれ、恐怖で怯えた表情を浮かべていた。
彼らの話から、庫の鍵が閉じていて何も入れなかったらしい。
しかし、晴樹の手には古い日記が握られ、驚愕と共に自分の選択に向き合わせていた。
この日の出来事が、彼の心に深く残ることは間違いないだろう。
何もなかったはずの夜に、彼は確かな音を聴き、時の流れに翻弄されたのだ。

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