静かな町の小さな図書館には、古い書物が所狭しと並ぶ一角があった。
その中には、「忘れられた時の本」と呼ばれる一冊の本があった。
しかし、古びたその本には触れてはいけないとの言い伝えがあった。
ある晩、悠介という若者は、その言い伝えを無視して図書館に忍び込んだ。
彼は面白半分でその本を探しに来たのだ。
彼は本を読むことが好きで、特にミステリーやホラー小説に目がない。
しかし、それ以上に「忘れられた時の本」の噂に興味を持っていた。
何でも、その本を開くと過去の出来事や未来の出来事がわかると言われていたからだ。
悠介は薄暗い書庫の奥に入り、本を見つけた。
ほこりをかぶった表紙は黒ずんでいて、タイトルもページの隅にかすかに見えるだけだった。
彼はその本を手に取り、心躍らせながらページをめくった。
開いた瞬間、彼の周りの空間が歪む感覚を覚えた。
周囲は暗転し、気づくと彼は見知らぬ場所に立っていた。
そこは何もない空間、ただ時計の針だけが不気味に動いていた。
悠介は頭が混乱し、自分がどこにいるのか分からなかった。
その時、彼の後ろから声が聞こえた。
「何を探しているの?」。
振り返ると、年老いた女性が立っていた。
彼女の顔はどこか優しいが、目は虚ろで、何かを隠している様子だった。
「私は、時を探している。過去のことでも、未来のことでもいい。あなたの知っていることが欲しい。」悠介はそう答えた。
女性は少し微笑み、手を差し伸べた。
「それなら、私と一緒に来なさい。この空間を出る方法があるかもしれない。」
悠介は彼女の手を取った。
彼女が導くままに進むと、あちこちに時間の流れを感じられる場所があった。
流れている時間の中に、彼は自分の記憶や誰かが忘れたであろう出来事が混在しているのを感じた。
彼はこの場所が「忘れられた時の本」が示す世界だと理解した。
やがて、彼は一つの場面に目を留めた。
それは彼の幼少期の思い出だった。
彼が大好きだったおじいさんが笑顔で自分を見つめている。
悠介はその場面に惹かれ、もっと近くで見たいと思った。
思わず手を伸ばすと、その瞬間、彼の心に激しい感情が走った。
おじいさんが微笑んでいるが、その表情の裏には隠された悲しみがあった。
「何を決めるの?」女性が静かに問いかけてきた。
悠介は迷った。
過去に戻ってその時を修正できるのか、または未来を探って自分の運命を知るのか。
それとも、その先に進んで、忘れられた時の流れに飲み込まれてしまうのか。
彼の中で葛藤が生まれた。
「私は…おじいさんの時を大切にしたい。」悠介は自分の心の声にしたがった。
女性は微笑み、彼の手を優しく握った。
「それが答えなのね。あなたの決意は伝わったわ。」
その瞬間、悠介が見ていた場面が崩れ始め、目の前が明るくなった。
消えていくおじいさんの姿が、彼の心に深い感情を残した。
それは、彼にとって何よりも大切な思い出だった。
目を開けると、悠介は図書館の薄暗い書庫の床に座り込んでいた。
彼は「忘れられた時の本」を握りしめていた。
今、彼は本を閉じ、再び触れることはないと決意した。
その本には、不思議な力が宿っているが、それ以上に大切な思い出や人との関係があることに気づいたからだ。
悠介は静かに立ち上がり、図書館の出口に向かった。
彼の心には、おじいさんの温かな微笑みと、探し求めた時の重みが刻まれていた。