「昇る影、失われた自分」

天は高層ビルの最上階にあるオフィスで働いていた。
彼女は仕事に没頭するあまり、日が暮れても気づかずにいることが多かった。
ある晩、仕事を終えた天は、エレベーターに乗って地上に戻ろうとした。
そのエレベーターが最上階で止まり、何かが彼女を引き止めた。
周囲を見渡すと、窓から異様な光が差し込んでいた。
好奇心に駆られた天は、エレベーターから降りてその光を追うことにした。

その光は彼女をオフィスの奥へと誘った。
無造作に置かれた書類の陰から、何やら奇妙な光がもれていた。
近づくにつれ、異質なオーラを帯びた一枚の写真が目に飛び込んできた。
写真の中には、満面の笑顔を浮かべた天が映っていたが、彼女はその時に撮影した記憶がなかった。

驚きと恐怖が混じり合い、天は後ろに下がろうとしたが、自分の足が動かなかった。
背後には何かが迫っている気配を感じ、振り向くことができなかった。
突然、彼女の耳元で「あれは本当のあなたではない」という声が聞こえた。
恐る恐る後ろを振り返ると、そこには別の自分が立っていた。
髪は乱れ、目は虚ろで、その姿はどこか異様だった。

その影は次第に近づき、「私が本当のあなた。あなたが成し遂げてきたことの影が私よ」と囁いた。
驚く天に、影はさらに続けた。
「あなたは昇ることしか考えていない。限界を知らず、ただ上を目指し続ける。でも、私たちは知っているの。すべての高みには、必ず見失うものがあると。」

その言葉は彼女の心に深く響いた。
天は、仕事に狂奔し、本来の自分を見失っていたことを思い知った。
毎日、同じ仕事を繰り返し、疲れ果てて帰る一方、心の奥底では何か大切なものが欠けているのを感じていた。
彼女は一度も自分を見つめ直すことなく、ただ「昇る」ことに専念してきたのだ。

影が語る言葉は続いた。
「あなたが昇り続ける限り、私たちは外に置かれたまま。いつまでもあなたの心の奥でさまよい続けるのよ。」

その瞬間、天は恐怖のあまり叫び声を上げた。
しかし、声は出なかった。
影は無情にも彼女に近づき、手を差し伸べた。
恐れから逃れようとしても、オフィスの薄暗い空間に彼女は一歩も動けなかった。
まるで周りの環境が彼女を閉じ込めているかのようだった。

天は心の奥で「限界を取っ払え、もっと頑張れ」と自分を励まし続けてきた。
しかし、その影の存在は、彼女にそれがどれほど危険なことであるかを教えているようだった。
影がるりと笑い、彼女の所へ手を伸ばす中、心の中で彼女は決意した「私は本当の自分を取り戻す」と。

影はその言葉を嘲笑った。
「もう遅い。昇ることばかりに気を取られて、あなたは一度も立ち止まらなかった。」

思わず目を閉じた天は、自分の記憶を辿りながら、過去の自分を見つめ直した。
舞い上がる感情の中に、本当に大切にしたいものが何かを見つけ出そうとした。
それは、日々の小さな喜びや人とのつながり、そして自分自身を大切にすることだった。

目を開けたとき、影は消えていた。
オフィスは静まり返り、天は一人になった。
あの声が再び耳に残る。
「己を知れ、己を忘れるな。」その言葉の意味を理解し始めた彼女は、再び上に向かう道のりを選ぶのではなく、今、この瞬間を生きることを決意したのだった。
夜の静けさの中、彼女の心の奥で新たな光が灯った。
自分自身を知る旅が、ここから始まるのだと。

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