創は、夜遅くまで働き続け、帰り道を急いでいた。
彼が最寄りの駅にたどり着くと、そこは静まり返っていて、時折風が冷たく吹き抜けるだけだった。
時刻はもう深夜を過ぎており、他の乗客は影も見えなかった。
ホームの端に立ちながら、創はふと思い出した。
母から聞いた、駅にまつわる不気味な噂を。
かつてこの駅で、ある女性が折れた傘を持ったまま、誰にも気づかれずに行方不明になったというのだ。
彼女は傘を手放すことができず、それが呪いとなって彼女の周りの人々に襲いかかるという。
その考えが頭をよぎったとき、創の目の前に人影が現れた。
傘を持った女性だった。
彼女はゆっくりとこちらに近づいてくる。
その傘はひどく古びており、折れた部分が何度も修理を施した跡が見えた。
彼女の顔はしっかりとは見えなかったが、どこか悲しげな表情を浮かべているようだった。
恐怖心を抱きながらも、創はその場を動けずにいた。
「大丈夫だ、ただの幻影だ」と自分に言い聞かせるが、女性は着実に彼の前までやって来た。
すると、彼女は静かに傘を差し出した。
「これを持っていて欲しい」と呟いた。
その瞬間、創の背筋には寒気が走った。
傘を受け取ると、彼の中で何かが蠢いた。
自分にもこの呪いが襲いかかるのではないかという懸念が膨らむ。
彼は傘を返そうとしたが、女性は微笑みながら首を振った。
「私が持っている限り、呪いは消えないの」と言う声が、何故か彼の心に響いた。
創は思わず傘を投げ捨て、逃げるようにその場を離れた。
しかし、逃げても逃げても、背後には女性の影が追いかけてくるのを感じた。
振り返ると、傘を持った彼女は一歩一歩、ゆっくりとした足取りで迫ってくる。
その目は彼をじっと見つめていた。
駅のホームに戻った創は、まだ女性の存在を感じていた。
駅の周囲には人がいない。
誰も助けてくれない。
彼は混乱し、恐怖のあまり動けなくなった。
生きた心地がしないまま、記憶の中に残る「折れた傘」を思い出した。
母が言っていた通り、彼女は呪いを持ち歩くことで他者にもそれがうつるのだ。
その瞬間、彼の心の中に一つの思いが浮かんだ。
彼女が求めているのは、ただその傘を返してくれることなのだと。
創は決意し、振り返って彼女の元へ駆け寄った。
傘をつかみ、彼女の手に戻そうとしたが、その瞬間、彼は強い力に引き寄せられた。
何もかもが真っ白になり、何も見えなくなる中、創は声が聞こえた。
を「折れた傘」にまつわる過去の記憶が彼に迫ってくる。
女性の呪いは彼の心に入り込み、彼を捕らえた。
彼がただ一歩を踏み出す度に、道の先にあった光が遠のいていく。
気がつくと、創はホームの端に立っていた。
冷たい風が顔を撫で、傘は足元に無造作に転がっている。
その傘を見つめ、彼は呪いから逃げることができないことを悟った。
「私はこれを持ったまま生きていくのか?」と考える創は、心の中に、女性の静かな言葉を感じていた。
周囲は暗闇に包まれ、彼にとっての出口は失われ、駅の中ですべてが終わることを予感しながら、彼は立ち尽くすのだった。