ある小さな町のはずれに、古びた神社があった。
神社は長い間、放置されており、木々に覆われていて、訪れる者はほとんどいなかった。
町の人々はその神社にまつわる怪しい噂を耳にしていたが、「近づいてはいけない」と口々に言い交わすのみだった。
その神社の一角には、「え」と呼ばれる霊が棲むとされていた。
「え」は生前、ある若い男性の姿をしていた。
彼の名前は健太。
彼は村のために尽くす善人だったが、ある日に商売繁盛を願い、神社にお参りに行った際、神の神託に従わなかったことで、ひどい憎しみを受けた。
健太はそれ以来、神社でさまよい続けることになり、町の人々は彼の存在を恐れた。
ある晩、高校生の佐藤は友人たちと肝試しにその神社を訪れることに決めた。
彼らは夜の闇に包まれた神社に恐る恐る足を踏み入れ、みんなで小さな懐中電灯を持ち寄っていた。
神社の境内に足を踏み入れた途端、異様な静けさが彼らを包んだ。
周囲の草木がざわめくこともなく、時折感じる寒い風が、その不穏な空気を一層強調する。
「何か居るぞ。」友人の一人が急に言った。
佐藤は「何もいないだろ」と笑ったが、心の底では不安が募っていた。
次第に、彼らには冷たい視線が注がれているように感じ始めた。
それが健太の霊だった。
その時、突然、懐中電灯の光が消えた。
真っ暗闇に包まれた彼らは、恐怖で震え上がる。
周囲の空気が一変した瞬間、「戻ってこい…」という低い声が響いた。
佐藤はその声が胸の奥に直接響くように感じ、他の友人たちも同様の恐怖に包まれていた。
「戻れない!」一人の友人が叫んだ。
「こいつが我々を引き留めている!」その声は混乱と恐怖でさらに響き渡る。
佐藤は懐中電灯を必死に確保しようとしたが、手は空を掴むばかり。
彼らは神社の奥に引きずり込まれ、健太の声が耳元で迫りくる。
「戻れ、戻ってこい…」
逃げ出そうとする彼らの足はまるで泥に埋まったかのように重く、動くほどにその声が強まっていく。
健太の声は悲痛であり、力強くもあった。
「私はここに戻ってしまった、君たちも同じ運命だ。」その瞬間、佐藤の目の前に健太の姿が現れた。
朽ち果てた神社に漂うように立つ彼の姿は、まるでずっと待っていたかのようだった。
「私と一緒にいてほしい、戻ってきてほしい。」健太は一歩前に進み、少しずつ近づいてくる。
その怨念におびえた佐藤は、必死に腕を伸ばし、友人を引っ張り、逃げることを試みたが無駄だった。
友人たちもそれぞれに恐怖のあまり錯乱し、それぞれの道に逃げようとしたが、皆が引き寄せられるように健太に捕らわれてしまった。
神社から逃げるため、彼らは手を取り合い、全力で走り出した。
全員が一つになり、声を合わせて「帰る!」と叫んだ。
しかし、走り続ける先にあったのは、暗闇の中に薄れる神社の影だった。
どれだけ走っても、神社から離れられず、何度も同じ場所を回り続ける感覚が襲いかかった。
そして、ついに彼らは絶望の中で気を失った。
目が覚めると、朝日が彼らの上を照らしていた。
しかし、神社はそこには存在しなかった。
彼らは町の自宅の前に立っており、あの夜の記憶は完全に消えていた。
ただひとつ、彼らの胸の奥には、静かに囁く「戻ってこい」という声だけが残っていた。
それ以来、佐藤たちはその神社について話すことはなかったが、彼らの心に植え付けられた恐怖は、一生消えることはなかった。
あの神社には今も「え」が棲んでおり、新たな訪問者を待ち続けているという噂は広まり続け、影でその存在を感じる者は後を絶たなかった。