「戻りし者の囁き」

夏の終わり、涼しさが感じられる頃、大学生の佐藤直樹は友人たちと一緒に肝試しをすることになった。
彼の友人の中でも特に怖い話が好きな山田美咲が提案したのは、町外れにある古い廃病院だった。
そこには魂を宿したと言われる霊が出るとの噂があった。

「ここ、本当にやばいかもしれないよ」と直樹は言ったが、友人たちの興奮した様子を見ているうちに、彼も次第にその場の雰囲気に飲まれてしまった。
病院の入口に着くと、風がほんのりと吹き、草むらからは虫の声が聞こえた。
廃病院は黒く、かすかな月明かりに照らされた古びた建物が、まるで怨念をもたらすかのようにそこにそびえていた。

「入るぞ!」美咲が元気よく声を上げ、ドアを開けた。
まるで長年閉ざされていたかのように、ドアはぎしぎしと音を立てて開く。
中に入ると、暗闇が彼らを包み込み、様々な物音が響いた。
彼らは互いに手を取りながら進んでいく。
冷たい空気が肌に触れる度、直樹は不安を抱いていた。

途中、直樹は少し遅れて入ってきた新人の鈴木健太が、一人離れて何かを見つめていることに気づいた。
「健太、どうしたの?」と問いかけると、健太は驚いたように振り返り、すぐに駆け寄ってきた。

「今、目の前に人がいた。白い服を着た女の子が」と健太は息を切らしながら言った。
その瞬間、直樹の心に何かざわめきが走った。
友人たちは笑い合いながら進んでいったが、直樹はその言葉が心に引っかかり、無視できなかった。

更に奥へ進むと、彼らは大きな部屋に着いた。
壁にはかつてのおそろしい医療器具が散乱し、薄暗い空間には不気味な気配が漂っていた。
「ここ、何かいるかも」と直樹が言うと、美咲が笑って「怖がりすぎ!」と言った。
でも直樹は、それ以上進むことをためらった。

不意に、どこからともなく耳を劈くような声が響き渡る。
「戻ってきて……」その声は直接心に響くようだった。
直樹は思わず体が震え、周囲に目を配った。
他の友人たちが何を言っているのか分からず、彼は自分の耳を疑った。
声は再び聞こえた。
「戻ってきて……」

直樹は急いで健太の元に駆け寄り、「あの声、聞こえた?」と声を押し殺して尋ねた。
健太は白い顔をして、何も答えずに周囲を見回している。
直樹の心がざわつく中、美咲は笑いながら、今度は廊下に目を向けた。
「こっちだよ、みんな」と彼女は呼びかけた。

全員が美咲に従い、その散策を続けた。
しかし、すぐに直樹は何かが違うと感じ始めた。
美咲の表情に微かな変化が見られたのだ。
彼女の目が虚ろで、まるで何かに操られているかのようだった。
「美咲、大丈夫?」直樹は声をかけた。

彼女はすぐさま振り返り、「私は大丈夫」と冷たく言い放った。
その瞬間、彼の背筋を凍りつかせる冷気が走った。
美咲が振り返ったその背後に、薄暗い影が一瞬浮かび上がった。
直樹は恐怖のあまり、思わず叫び声を上げた。

次の瞬間、友人たちが驚き、慌てて美咲に近寄っていった。
「美咲、どうしたの?」その問いかけに対して彼女は何も理解しない顔をする。
「戻ってきて」とささやくこの声は、明らかに彼女の耳元から発せられるものではなかった。

直樹は思わず後退り、他の友人たちもざわめく中、美咲の表情もサッと変わった。
「私は……戻るんだ」とつぶやき、彼女はその場を離れて足早に病院の奥へと消えていった。

直樹たちは慌てて追いかけたが、暗い廃病院の中で美咲の姿を見失ってしまった。
不安な気持ちが押し寄せ、彼はもう一度声を上げた。
「美咲!戻ってこい!」しかし返事はなく、ただ冷たい空気と耳を劈く声が響くばかりだった。

結局、直樹たちは美咲を見つけることができず、そのまま病院を後にした。
数週間後、直樹は美咲が戻ってこなかったことに気づき、彼女の友人たちを集めて相談することにした。
結果、みんなも同じことを覚えていた。

この廃病院には、自らの魂を求めてさまよい続けている霊がいるという噂が、どうやら本当のようだった。
そして何より恐ろしいのは、彼女の名前がそのまま、病院に閉じ込められてしまったことだった。
直樹はその後も美咲を探し続けたが、彼女の声を聞くことは二度となかった。
彼女の魂は、今もなお病院の中に留まっているのだろうか。

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