深い森の奥にある小さな村。
この村は、長い間人々の記憶から消え去り、今では誰も訪れない場所となっていた。
しかし、その村には一つの伝説があった。
かつて、そこに住んでいた少女の名は美咲。
彼女は心優しい性格で、村の誰からも愛されていた。
美咲には、一人の青年、翔がいた。
彼は村から少し離れた町に住んでおり、美咲とたびたび森を越えて会っていた。
二人は深い愛で結ばれていたが、村にはある禁忌があった。
それは「愛を育む者が現を越えてはならない」というものだった。
この禁忌を破ることは、村に不幸をもたらすと恐れられていた。
ある日のこと、美咲は翔に手紙を書いた。
「今度の満月の夜、私を森の入口で待っていて。ただし、決して村を出てはならない」と。
その言葉には、彼女の不安が隠されていた。
なぜなら、村の広がる深い森には、愛を求め続ける幽霊たちが住んでいたからだ。
満月の夜、翔は約束通り森の入口に立っていた。
心の中に美咲への愛を抱えながら、彼女の姿を夢見ていた。
しかし、時が経つにつれて、彼の心には不安が芽生え始めた。
美咲が現れないのだ。
待つことに疲れ果て、ついに甘い言葉を信じて彼は村の境を越えてしまった。
その瞬間、空が暗くなり、森の中から冷たい風が吹き荒れた。
翔は美咲の声を耳にした。
「翔、私を助けて…」その声は甘美な響きであったが、どこか悲しげだった。
驚いた翔は、声の方へと進んでいく。
彼の目の前に立っていたのは、無表情の美咲だった。
しかし、彼女の周りには薄い霧が漂い、目は虚ろで何かに囚われたように感じられた。
「美咲、どうしたんだ!」翔は焦りながら叫んだ。
彼女はゆっくりと首を振り、言葉を続ける。
「現を越えたあなたには、戻れない運命が待っている。私のことを忘れないで…」
彼女の言葉は、彼の心に激しい痛みをもたらした。
愛する者への想いが、いかに恐ろしい運命を自ら引き寄せてしまったのかを実感した。
しかし、彼は美咲を愛していた。
彼女を忘れることなど、決してできない。
その瞬間、美咲の表情が変わった。
悲しみに満ちた目が翔を見つめ、彼女は続けた。
「愛する者の思いから、あなたを解放する消えてしまうことになるかもしれない…」
翔は彼女の手を強く握りしめた。
「絶対に離れない。私たちの愛がこの運命を変えてみせる!」彼の言葉に力強さが宿った。
しかし、美咲はその手をやんわりと離し、彼を見つめ返した。
「このままでいては、私もあなたの現から消えてしまう。あなたの記憶から、私の存在を消さなければならないの。」
翔の心は崩れ落ち、涙が頬を伝った。
「そんなことは、できない!」彼は叫んだ。
だが美咲は微笑みながら、彼の頬に手を添えた。
「私のことを想っていてくれさえすれば、私の魂は安らぐの。」
そして、彼女はゆっくりと後ろに下がり、霧の中へと姿を消していった。
翔はその光景をただ見つめ、彼女の言葉が心に刻まれた。
「私を忘れないで。」
それ以来、翔は村に戻らなかった。
彼は美咲の愛を胸に抱きながら、毎晩彼女を思い出し、彼女が言ったように、森へと足を運ぶことはなくなった。
美咲のことを思い続けることで、彼女は完璧に彼の記憶の中で生き続けた。
そして、愛を求め続ける者たちには、心に愛が宿る限り、永遠に悲しみを背負い続ける運命が待ち受けているのだ。