町外れの古びた図書館には、誰も手に取らない書棚が存在していた。
そこには、色あせた背表紙の本が何冊も並んでおり、特に異彩を放っている一冊があった。
その本のタイトルは「味のしらべ」。
ページをめくると、何とも言えない香りが漂い、しばしば異界のような気配を感じさせた。
興味を惹かれたのは、大学生の佐藤和也だった。
ある晩、和也は友人たちと図書館で勉強することになった。
その日のテーマは文学で、彼らは様々なジャンルの本を手に取っていた。
しかし、和也の目は「味のしらべ」に釘付けになっていた。
友人たちに「面白そうだから、これを読んでみるよ」と言い残して、その本を手に取った。
気が付けば、周囲の雑音が途切れ、図書館は不気味な静寂に包まれていた。
和也はページをめくるにつれて、描かれている料理の出来栄えやその作り方に、まるで自分が料理をしているかのように感じ始めた。
しばらくすると、彼の口の中に、実際に目の前に料理が存在しているかのような味わいが広がった。
それは、香ばしい焼き魚や甘いデザートなどだった。
不思議な感覚に戸惑う和也だが、次第にその体験が心地よい刺激となり、まるで異次元の味わいを堪能するかのように本を読み進めていった。
しかし、ページの間から微かに漏れ出る煙のようなものに目が留まり、和也はふと不安を覚えた。
その煙は、まるで彼を呼び寄せるかのようにほのかに匂い、その中にはかつて存在した料理の思い出が漂っているかのようだった。
あるページをめくった瞬間、和也の目の前に晩餐の場面が映し出された。
色とりどりの料理がテーブルに並び、彼の目の前には聞き覚えのある声が響いた。
「美味しいというのは、こういうことだ」と、それは和也がどこかで会った記憶のない人だった。
その人は「あなたの味覚を目覚めさせるために呼んできた」と続け、和也を挑発するように微笑んだ。
和也はその言葉に乗せられ、作り出される料理を口にし続けた。
しかし、次第に感じる味は栄養分が薄れ、苦味が増していく。
「これは一体どういうことなのか」と混乱する和也に、さらに不気味な現象が迫り始めた。
目の前に並んでいる食べ物はしだいに腐り始め、どんどんと不快な臭いが漂った。
見渡せば、友人たちの姿も薄れていく。
その時、和也は「もうやめてくれ」と叫んだ。
味覚の幻影から逃れたいと思った瞬間、絵画のように描かれた晩餐テーブルが崩れ去り、彼は図書館の床に倒れ込んだ。
辺りは元の静寂に戻り、友人たちも真っ白な顔で彼を見つめていた。
「一体、何があったんだ?」と友人の山本が声をかけると、和也は「味のしらべ」の本を放り投げ、自分の過去を振り返る。
そこには、学生時代に食べた懐かしい味や友と共に過ごした楽しい食事が、心の奥深くにひっそりと残っていた。
和也はその思い出に“贖い”を感じながら、目の前の友人たちと一緒に味わうことの大切さを再認識した。
「この本、もう二度と手に取らないよ」と言い残し、和也は友人たちと図書館を後にした。
彼は、その夜の恐怖から解放されたが、心のどこかで「味」というテーマに対する思索が残っていた。
それは料理が人々の絆を結ぶものであり、決して一人では味わえないということを教えてくれたのだった。