「悪の手に囚われた者」

市の中心にある古びたアパート。
そこには、若い女性の美香が一人暮らしをしていた。
彼女は仕事で多忙な日々を送りながらも、徐々にその生活に疲れていった。
ある晩、美香は街からの帰り道、特に不気味な気配を感じた。
風もなく、静まり返った夜の中に何かが潜んでいるような、不安な気持ちだった。

アパートに戻った美香は、何も気にせずに静かに夜を過ごし始めた。
しかし、彼女がベッドに入ると、不意に目の端に何かが見えた。
薄暗い部屋の隅に、黒い影が動いたような気がした。
美香はその影を無視しようとしたが、好奇心と怖れが交錯し、目を凝らしてその方向を見つめた。
しかし、影はどこにも見当たらなかった。
それでも、薄気味悪い感覚は消えなかった。

数日後、その影は再び登場した。
美香が仕事から帰宅し、何気なく部屋に入った瞬間、急に窓が開き、強い風が吹き込んできた。
彼女は寒気を感じつつ、窓を閉めようとしたが、その瞬間、部屋の一角から不気味な声が聞こえてきた。
「美香、助けて…」思わず身震いした美香は、声の行方を確かめるべく立ち上がった。

その声は美香を呼ぶが、足がすくんで動けない。
彼女は、何が呼んでいるのか恐れを感じつつも、勇気を振り絞り、声の主を探しに行くことに決めた。
声がする方へと進んでいくと、ふと目の前に現れたのは、異様な形をした手だった。
まるで、骨だけでできたような白い指が、美香に向かって伸びていた。

その手は、無言で彼女を求めているかのように動いていた。
「れ」と小さく呟くその手に、心からの恐怖が押し寄せた。
美香は、後ずさりして逃げようとしたが、まるでその手に吸い寄せられるかのように動けなかった。

その瞬間、思い出したのは、かつて彼女の友達が話していたことだった。
古い噂では、「悪い手に触ると、その持ち主が苦しむ」という言い伝えがあった。
美香は、その手に触れてはいけないという直感を感じ取った。
しかし、同時に不気味な声が彼女に迫り、心の奥底から「救ってほしい」と懇願しているように思えた。

手がさらに近づいてくる。
美香は心の中で葛藤し、恐怖と同時にその手の必死な響きに心を囚われてしまった。
その瞬間、彼女はその手を掴まれてしまう。
闇の中で感じる、その手の冷たさと力。
恐ろしい悪の存在に引き寄せられながら、心の中で叫ぶ。

だが、ふとした瞬間、彼女は冷静さを取り戻し、心の中の恐怖に立ち向かうことを決意する。
「あなたを助けることはできない、私を苦しめないで」と形而上的に伝えるように苦しさをあらわにした。
すると、手は少しだけ力を緩め、微かにその形を変えていく。

美香は思い切ってその影から逃げ、部屋を飛び出した。
暗闇で感じた手は、力を失っていく。
「れ」という声はもう耳に届かない。
その後、美香は何かを感じ取るように、再度自分の心を静め、恐れを乗り越えた。
その夜以来、悪の手は彼女を離れ、美香は過去と向き合うことに成功した。

しばらくして、美香は他の入居者が部屋を引き払ったことを知った。
それは夜の闇に潜む悪に囚われ、二度と戻れなくなった存在として都市の中で噂されていた。
彼女は、あの悪の手に救われなかった者たちを、深く思い出すのだった。
夜毎、薄暗い部屋で響く「助けて」という声を背に、彼女はその者たちを忘れないことを誓った。

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