繁華街の喧騒が静まりかける頃、彼は一人、居酒屋のカウンターに座っていた。
中村修司、35歳。
長い間、彼は東京の街でサラリーマンとして働いてきたが、最近は仕事のストレスに押し潰される日々が続いていた。
今夜も、家に帰る直前に少し一杯引っかけてから帰ろうと決めたのだ。
冷えたビールを飲み干し、弁当屋のにぎわいを眺めていると、薄暗い路地裏に目が留まった。
そこには、古びた電柱が立っていて、その周りには誰もいなかった。
思わずその光景に引き寄せられるように、修司はカウンターを離れ、路地へ足を運んだ。
すると、見慣れない女性が電柱の前に立っていた。
彼女の長い髪は闇の中に溶け込み、顔はうっすらとしか見えなかったが、何か彼を惹きつける魅力を持っているようだった。
「あなた、悔しいことはないの?」
その声は、まるで耳元で囁かれているかのように感じられた。
修司は思わず言葉を失った。
彼には、心の片隅にあった過去の悔いが浮かび上がった。
若い頃、彼は夢を追っていた。
しかし、社会の常識や安定を求め、この街の一員として生きることに決めたのだ。
その決断は、果たして正しかったのだろうか。
彼女の問いかけは、まるで修司の心の奥深くに響くようだった。
「あなたが悔いていることを教えてほしいの」
彼女の口元が微かに動く。
しかし、その表情は見えなかった。
思わず、修司は自分の思いを語り始めた。
「私は、もっと自由に生きたかった。夢を追って、道を外れたかった。だけど、ずっと安全な道を選んできた。そのことで、自分を殺してしまったのかもしれない」と、彼の心の中にあった言葉が次々とこぼれ出た。
その瞬間、電柱の周りがひんやりとした空気に包まれ、修司の背筋に寒気が走った。
突然、電柱から青白い光がほとばしり、その光の中に修司の記憶が映し出される。
それは、彼が夢を諦めた瞬間や、様々な選択をする場面だった。
彼は目を奪われ、何が起こっているのか理解できなかった。
「これがあなたの選択の結果。悔いは消えないわ」
その言葉が響くと同時に、修司の心の中で渦巻いていた悔いが、命のように生きているのを感じた。
彼は、過去の選択を全て受け入れなければならないのか。
そこで彼女はさらに続けた。
「今も、あなたの選択を変えることはできる。もしこの悔いを抱えて生きるなら、この街の闇に飲み込まれることになるわ」と。
その言葉は、修司にさらなる恐怖を与えた。
彼は立ち尽くし、携帯を取り出そうとしたが、手が震えて思うように動かない。
彼女の視線は、まるで彼の内側まで見透かしているように感じられた。
「正直、あなたに選択を委ねるのは初めて。私はこの街の闇の化身。悔いを抱き続ける人間を、永遠に縛る役割を持っている。だから、私はあなたが選ぶ瞬間を見届けたいの」
やがて、修司は恐怖を振り払うように心を決めた。
「私は、自分の選択を後悔したいわけじゃない。だったら、今を大切に生きなくてはならないんだ」と叫んだ。
その瞬間、青白い光が一瞬、彼を包み込み、彼女の姿が揺らいだ。
光が消えると、彼女は微笑んで消えていく。
「あなたの選択が明るいものであることを願っているわ。それがもしかしたら、私の運命を決めることになるのだから」
暗闇が再び街を包み込み、修司は呆然とその場に立ち尽くした。
彼の心には、あの女性の言葉と、彼の持つ悔いが深く刻まれた。
しかし、闇の中に救いを見出したような不思議な感覚があった。
彼は自分の選択を信じ、この街で新たに生きていくことを決意したのだった。