「忘却の蔽」

夜が更けるにつれ、人々は街の喧騒から離れ、自宅で静寂を求める。
しかし、その静けさの裏には、忘れ去られた過去が潜んでいた。
ある小さな町に、廃墟となった古びた家があった。
近所の人々はその家を「蔽の家」と呼び、決して近づこうとはしなかった。

そこには、一度は栄えた家族が住んでいたが、何かしらの不幸が襲い、彼らは跡形もなく姿を消したという噂があった。
特に目撃されたのは、長女の弥生。
彼女は美しい容姿と優しい性格を持ちながらも、過去に囚われていたらしい。
時折、彼女の姿を見たという人々は、彼女の目に映る深い悲しみを感じ取っていた。

町の若者である健太は、古い伝説を聞きつけ、興味本位でその蔽の家を訪れることを決意した。
彼は自らの好奇心を抑えることができず、怖い話や怪奇現象を求めて廃墟に足を踏み入れた。
夜の帳が下りる頃、健太は懐中電灯を手に、家の中へと進んでいった。

薄暗い廊下を進むと、古びた壁に覆われた部屋が見えてきた。
健太は静まり返った空間で、何かが彼を呼んでいるような感覚に襲われた。
心を落ち着かせ、壁際にあるかすかな影に目を凝らす。
すると、突然、背後からひんやりとした風が彼の髪を揺らし、驚きに思わず振り返ると、そこには彼を見つめる弥生の姿があった。

彼女の目は深い淵のように暗く、その周りには何か黒い影が蔽っている。
「助けて…」と彼女はか細い声でつぶやき、まるで何かに苦しんでいるかのようだった。
健太は恐怖を感じながらも、彼女のその言葉に引き寄せられ、何とか話しかけた。
「君は弥生だね?」彼女は頷くが、その表情はどこか悲しみに満ちていた。

「私はここから逃げられない…助けてほしい…」弥生の言葉に、健太の心は揺さぶられる。
彼はその瞬間、自分が彼女を救うために来たのだという直感を覚えた。
しかし、その後すぐに彼女の姿は影のように消え去り、家の中は再び静寂に包まれた。

健太は再びその場所を訪れ、それから何度も通うようになった。
毎回、弥生は現れ、彼女の過去について語り始めた。
かつて彼女は幸せな家庭で育ったが、家族間の争いや裏切りによって、少しずつ彼女の心は蔽われていった。
そしてついに、不可解な事件が起こり、家族は滅びた。
彼女だけがその苦しみから逃れられず、家に縛られたままだった。

健太は弥生の言葉を胸に、彼女を解放する方法を探し始めた。
調査を進めるうちに、彼女の家族に隠された秘密、そして「復讐」がテーマとなっていることを知る。
彼女の家族は、彼女の幸福を妨げる者へ復讐を計画していたが、その結果が全てを滅ぼしてしまったのだ。

ある晩、健太はついに弥生にその秘密を伝えた。
「もう復讐なんて必要ないんだ。あなたは、過去を乗り越えて、前に進むべきだよ。」彼の言葉に、弥生は驚きの表情を浮かべた。
彼女はついに自身の過去を受け入れ、「私を忘れていってほしい」と訴えた。

健太は彼女を解放する決意を固めた。
彼は廃屋の中心にある古びた鏡の前に立ち、その鏡に彼女の姿を映し出した。
「もう大丈夫、私はあなたを忘れたりしない。ただ、ここから解放されてほしい。」彼の言葉を受け入れたのか、弥生の表情は少しだけ明るくなり、そして彼女は徐々に消え去っていった。

夜が明け、健太は静かな廃屋を後にした。
心の奥底には不安が残っていたが、同時に安らぎも感じていた。
弥生は解放され、新たな未来へ進むことができたのだ。
町の人々は「蔽の家」の噂が薄れ、健太の心には、彼女を思い出す小さな光が宿っていた。

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