春の穏やかな午後、佐藤元は、同僚たちと飲み会を開くために居酒屋へ向かっていた。
彼は普段あまり飲まないが、今夜は特別な日だった。
大学時代の友人たちが久しぶりに集まるのだ。
そんな楽しみに胸を膨らませながら、元は繁華街を歩いていた。
飲み会の帰り道、元はふと目に入った古い民家の前で足を止めた。
その建物は長い間閉じられているようで、周囲の雑草が茂り、薄暗い雰囲気を醸し出していた。
興味をそそられた元は、暗がりの奥にある木製の門をそっと押してみた。
すると、しかしその瞬間、途端に門はひとりでに開いた。
元は驚きながらも、好奇心に駆られ、中に入ってみることにした。
中は静まり返り、廊下には埃が積もっていた。
元はゆっくりと進んでいく。
すると、ふと彼の耳に何か違和感を覚える音が響き始めた。
「覚えがあるのか?」その声は微かでありながらも、どこか懐かしかった。
彼は立ち止まり、周囲を見渡した。
しかし、誰の姿も見えない。
ただ、静けさだけが周囲を包んでいた。
無視することにした元だったが、やがてその声が大きくなり、「お前は、覚えていないのか?」と問いかけてきた。
元は心臓が早鐘のように打ち、冷や汗が背中を流れる。
声はどこからともなく聞こえるが、物の影から現れる気配はなかった。
恐怖心が広がり、元は後ずさりし始めた。
その時、彼の目の前に一枚の古い写真が落ちているのに気がついた。
すぐに元はそれを拾い上げ、驚愕の表情を浮かべた。
そこには、自分の幼少期と見知らぬ少女が写っていた。
しかし、少女の顔は不気味なほど痩せ細っており、何かを訴えかけるように見つめていた。
その瞬間、彼は気づいた。
そう、彼はこの少女のことを覚えている。
あれは確か、自分が小学校の頃に一緒に遊んでいた友達だった。
彼女の名は遥だった。
遥はある日、父親の仕事の都合で引っ越してしまったが、思い出にその顔が深く刻まれていた。
元は彼女を失った悲しみと、再会したい願望が交錯した。
その時、声が再び響いた。
「お前は私を忘れようとした。しかし、私はここにいる。私を呼び起こしたのはお前だ」。
元は何が起こっているのかわからず、全身が震えた。
写真を握りしめ、ひたすら後退りしてゆく。
その声はさらに強まり、「私を覚えているなら、私に帰る道を見せて欲しい」と迫ってきた。
その瞬間、元の周囲が真っ暗になり、遥の姿が浮かんできた。
彼女は白いワンピースを身にまとい、青白い光を放っていたが、儚い笑みの奥には悲しみと怨念が隠されているようだった。
「元、助けて…私をこの場所から解放して…。そのためにはお前も一緒に来なければならない」という言葉が耳に響く。
元は恐れを抱きしめながらも、その言葉の意味を理解した。
「覚えている」ということは、彼女の過去を背負うということだ。
彼女は、彼にしか解放できない運命を背負っていた。
そして、彼はその重荷をどうしても果たさなければならないことに気づいた。
最後の瞬間、元は意を決して言った。
「わかってる、だから、一緒に帰ろう」。
その瞬間、彼は遥の手を取った。
すると、彼の心は静かになり、すべての恐怖が消え去っていく。
そこにはお互いの思い出が溢れていた。
元が彼女を覚えている限り、遥は決して忘れ去られることはない。
そして、彼は今、その約束のために彼女の手を離さなかった。
姿を消した後、元は何事もなかったかのように目を覚ました。
しかし、彼の心には遥との思い出が永遠に刻まれ、彼女の存在が彼の日常に寄り添っていた。
彼は今、彼女のために生きていく覚悟を新たにしたのだった。