「忘れられない夜のささやき」

彼の名は健太。
健太は小さな町の病院で看護師として働いていた。
いつも冷静で患者に優しい彼だったが、ある晩、特別な出来事が彼を待ち受けていた。

その日は、夜勤に入ることになった。
病院は静まり返り、時折聞こえるカートの音と時計の音だけが響く。
健太は普段通りに仕事を進めていたが、病棟の一部で、他のスタッフがあまり近寄らない部屋に気づく。
その部屋には長い間入院している患者、佐藤老人がいる。
老人は意識を失っており、誰もが彼の回復を諦めていた。
だけど、何故かその部屋には不気味な雰囲気が漂っていた。

同僚の看護師たちは「佐藤さんの部屋には近づかない方がいい。あそこは、なんだか悪い気がする」と口々に語っていたが、健太は気にも留めなかった。
彼は自分の仕事を全うするため、部屋に足を運ぶことにした。

健太が部屋に入ると、その瞬間、寒気が走った。
部屋の空気は重く、どこか不吉なものを感じさせる。
ベッドに横たわる佐藤老人は、まるで眠っているかのようだったが、その頬に浮かぶ微かな笑みは、なぜか不気味だった。
そして、その瞬間、何かが彼に視線を送ったような気がした。
振り返ると、同じ病棟の廊下には誰もいない。
ただの自己暗示だろうか、そう思いながらも、彼は老人の心拍数や呼吸を確認した。

次の日も、健太はその部屋を訪れることを決めた。
すると、夜ごとに佐藤老人の部屋に通ううちに奇妙な現象が起こり始めた。
深夜、健太が懐中電灯を照らすと、ふとした拍子に老人の寝顔が変わって見えた。
まるで夢の中にいるかのように、視線をどこかに向けている。
彼は「佐藤さん、何か見えているのですか?」と無意識に問いかけたが、返事はない。
ただ、老人の笑みが一層不気味に見えただけだった。

しばらくして、彼は別の同僚からその部屋についての話を聞かされた。
それによると、佐藤老人はかつてこの病院で働いていた医者で、彼がこの病院にいた頃、数名の患者を看取っていたという。
その中にはどうしても助けられなかった人々もおり、彼はそのことをずっと悔いていた。
そのため、彼の心は未練に囚われてしまい、故人たちからの助けを求める声が聞こえているかのようだった。

「実は、佐藤さんが亡くなった患者さんたちにずっと見守られているという噂もあるの。」同僚は続けた。
その言葉に健太の心はざわついた。

ある夜、健太は再び部屋に入った。
すると、何かの気配を感じた。
その瞬間、佐藤老人の顔がゆっくりと向きを変え、まるで彼を見ているかのようだった。
健太は恐怖を感じたが、同時にその悲しみを理解する必要があると感じた。

「あなたは彼らを忘れているのですか、佐藤さん?」彼は思わず口にした。

すると老人の笑みが消えていくのを感じた。
同時に、心の中にあった重苦しい感情が解きほぐれていくのを感じた。
老人の目が一瞬だけ瞬きしたように見え、それからすぐに奥の部屋から声が聞こえた。
「助けて…助けてください…」

その声はかつて亡くなった患者たちの声だった。
彼らは、佐藤老人に助けを求め続けているのだ。
健太は、自分が何をしなければならないのかを理解した。
彼は、佐藤老人とその患者たちの間に横たわる悲しい運命を受け入れ、彼を解放する手助けをすることに決意した。

夜が明けるころ、少しずつ健太の気持ちは決まっていった。
彼は他の看護師たちに相談し、共に佐藤老人を看取ることにした。
「あなたはもう、お一人ではありませんよ、佐藤さん」と彼はつぶやいた。
老人は静かに目を閉じ、ついにその重荷から解放される時が来たと感じた。

健太の手には、佐藤老人が望む解放への一歩としての、彼の心からの願いが込められていた。
彼はゆっくりとその場を後にし、忘れられない夜のことを胸に刻みながら、次の患者たちのもとへと進んでいった。

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