彼の名は健一。
大学を卒業し、社会人一年目を迎えていた彼は、心の疲れを癒やすために一人旅に出ることを決めた。
目的地は、静かな田舎町。
そこには、古くからの伝説や神秘的な話が語り継がれている場所が存在すると聞いていた。
旅の初日、健一は町の小さな宿に宿泊した。
宿の主人は、優しそうなおじいさんで、彼にこの町にまつわる話をいくつか語ってくれた。
特に印象に残ったのは、「忘れられた道」という話だった。
その道は、町の外れにあり、そこを通った者は必ず何かを失うとされている。
失うものは様々で、人によっては大切な思い出や愛する人の姿が見えなくなることもあるという。
興味を持った健一は、その「忘れられた道」を歩いてみることにした。
町を離れ、林の中を進むと、まるで時間が止まったかのような静けさが広がっていた。
彼は心の中で不安を感じながらも、その道を足を進めた。
やがて、彼の目の前には、草に覆われた道が現れた。
無造作に伸びる木々の間をぬい、彼はその道を進むことにした。
進むにつれて、周囲の風景が不気味に変わっていく。
何かが彼を見ているような感覚に襲われ、心拍数が上がった。
だが、健一は冒険心を押し殺し、さらに奥へ進んだ。
しかし、道の途中で、遠くから子供の声が聞こえてくるのに気づいた。
それは笑い声、そして、遊んでいるような楽しげな声だった。
その声に誘われるように、健一は声の方へ足を運んだ。
森の奥には小さな広場があり、そこには座っている子供たちの姿があった。
彼は一瞬、その光景に驚いた。
子供たちはとても楽しそうで、まるで世間のことなど気にせずに過ごしているようだった。
しかし、彼が少し近づこうとすると、子供たちは急に静かになり、彼を無表情で見つめてきた。
「遊ぼうよ、遊ぼうよ」と、一人の子供が言った。
健一は戸惑いながらも、その招待に心が惹かれた。
彼は「いいよ、何をするの?」と答えた。
しかし、子供たちはただ無言で彼を見つめるばかりだった。
誰も答えないまま、ただ笑顔を浮かべている。
健一は徐々に不安を感じ始めた。
「みんな、遊ぼうよ!」健一が再び言うと、周囲の空気が一変した。
子供たちの笑顔は消え、その場の温かさが一瞬にして冷たく変わり、彼の心をつかんだ。
すると、ひとりの幼い女の子が、か細い声で言った。
「あなたは、帰れないよ。」
その言葉を聞いた瞬間、健一は身の毛がよだつ思いがした。
次の瞬間、子供たちが一斉に姿を消し、広場は静けさとともに異様な雰囲気を漂わせた。
彼は恐怖に駆られ、急いでその場から逃げ出そうとした。
しかし、足元の地面がまるで生きているかのように彼を引き留めた。
彼の目の前に、かつての自分の思い出が次々と現れては消えていく。
大切な人の笑顔、楽しかった日々、子供のころの夢…それらが次々と押し寄せ、健一の心を締めつけていく。
彼は必死で目を閉じ、心の中で自分を奮い立たせた。
「逃げてはいけない」と、自分に言い聞かせた。
しかし、その瞬間、彼の脳裏に『忘れられた道』の話が蘇った。
果たして、彼は何を失ったのか?
目を開けたとき、林の中の景色は元の道へ戻っていた。
しかし、心のどこかに、その道で何かを失ったという感覚が残っていた。
帰り道、健一はその感覚に苛まれながら、宿へ戻った。
しかし、宿に着いた頃には、彼の心の中にあった楽しさや希望は薄れてしまっていた。
彼は、その「忘れられた道」の恐ろしさを知ることになり、町を去る決意を固めた。
彼が立ち去った後、その道では今も、無邪気な子供たちの笑い声が響いているのかもしれない。
そして、彼の心に刻まれた悪夢のような「何か」は、誰かを待ち続けているのだろう。