「忘れられた診療所」

静かな街の端に位置する、古びた診療所。
その外観はひび割れた壁や朽ちた看板が目立ち、訪れる者はほとんどいなかった。
しかし、診療所にはある噂があった。
長い間療養していた患者がある日、突然姿を消した、と。
街の人々はその話を肴に、他にはない奇妙な興味を抱いていた。

ある晩、高校生の佐藤和也は友人たちと肝試しをすることにした。
和也は特に心霊現象を信じるタイプではなかったが、友人たちの好奇心に引きずられる形で診療所に足を運んだ。
彼らは「何も起こらないだろう」と笑い合いながらも、どこか恐怖心を抱えていた。

診療所に入ると、空気はひんやりとしていた。
薄暗い待合室には、古い椅子が揃って置かれており、壁には恐ろしいほど美しい絵が不気味に飾られていた。
友人たちは、すぐにその絵に目を奪われ、和也だけが不安な様子で周囲を見回していた。

「ここに、消えた患者の霊がいるんじゃないか?」友人の一人、田中が冗談交じりに言った。
すると、和也は何かを感じた。
背筋がぞくぞくと寒くなり、彼は印象に残った一枚の絵に視線を奪われた。
その絵には、自らの病に苦しむかつての患者が描かれていたようでもあった。

友人たちが「さあ、次は診察室に行こう」と言うと、和也はためらったが、結局はその場に従うことにした。
診察室に入ると、光がほとんど差し込まない空間に一台の古ぼけた診察台があった。
実際にここで患者が治療されていたのだと考えると、彼らは不気味さに耳を澄ませる。

「本当に何も起こらないよな?」和也は自分に言い聞かせたが、その瞬間、突然、診療所の電気がパチンと消え、彼らは真の闇に包まれた。
和也の心臓は激しく鼓動を打ち、耳の奥に微かに聞こえる声に気づいた。

「助けて、私を忘れないで…」

その声はかすかに聞こえ、まるで彼に助けを求めるもののようだった。
友人たちは恐怖に駆られ、まるで一斉に動けなくなったかのように固まっていた。
和也は何かに引かれるように、診察台に近づくことにした。
そこには、微かにほのかに光るものがあった。

その光は、まるで患者の名前を書いた紙だった。
「健一」と。
その名に、和也の心が震えた。
彼はかつての患者の名前を知っていた。
健一は、幼い頃の友人だった。
病気で長い間入院していたが、数年前に亡くなったと聞いていた。

「健一…」と、和也は声を漏らす。
その瞬間、彼の周囲の空気が不思議と穏やかになった。
消えた患者は、和也を通じて自らの存在を伝えようとしていたのだ。

不安と恐怖が和也を包む中、彼は思わず手を伸ばした。
その瞬間、診療所の空間が変わった。
かつての診療所の光景が蘇り、今では見えない患者たちが、和也の周りに集まってきた。
彼らの表情は疲れ切っていたが、その目には一瞬の安堵が浮かんだ。

「私はここでずっと待っていた。私を忘れないでいてくれる?」それは、和也の心に深く響いた言葉だった。
彼は目を閉じ、健一の思い出を抱きしめた。
友人たちが怖がりながらも和也を囲み、何が起こっているのかを理解しようとした。

やがて、ひとしきりの静けさが訪れ、和也は思った。
「私はあなたを忘れない。ここに来た意味は、あなたに伝えるためでもあるんだ。」

その後、診療所の電気が戻ると、和也は消えたはずの病棟の患者たちの思いを抱えたまま立ち尽くしていた。
友人たちはその光景に驚きと混乱を隠せずにいたが、和也は知っていた。
彼は健一と、他の患者たちの想いを代弁し、彼らが癒される瞬間を待ち続けることに意味があると。

それ以来、和也は心霊現象を信じるようになった。
それは単なる恐怖ではなく、他者を癒し、思いを継承するための役割なのだと。

タイトルとURLをコピーしました