「忘れられた街の妖」

街の片隅、日が沈み始めた頃、健太はいつも通り帰宅の途に着いた。
周囲は静まり返り、薄暗い街灯の下で影が揺れている。
彼はふと足を止め、今まで感じたことのない奇妙な感覚に襲われた。
まるで誰かに見られているような、不気味な視線だ。

その時、彼の目に飛び込んできたのは、一つの古びた神社だった。
普段は通り過ぎるだけの場所だが、今日は何かに引き寄せられるように、健太は神社の境内に足を踏み入れた。
神社の奥には、しっとりとした苔に覆われた石の鳥居があり、その向こうにうっすらと光を放つ異様な影が見えた。
健太は心臓が高鳴るのを感じながら、そちらへと近づいていった。

やがて、影が形を成していく。
小柄な姿の妖—名を「まり」と呼ぶその存在は、彼を見上げている。
彼女の目は真っ黒で、まるで夜空そのもののように深い。
健太は彼女の妖艶な魅力に一瞬、目を奪われたが、同時に警戒心も芽生えた。
「何をしているんだ?」彼は声をかける。

「あなたを呼んでいたの。」まりは微笑みを浮かべ、柔らかな声で答えた。
「あなたのような人間にしか、私の秘密は分からないのよ。」

健太はますます混乱した。
彼女が何を意味しているのか分からなかったが、言葉に引き込まれるように、その場に留まった。
まりは彼の手を取ると、自らの身体の下へと導いた。
「私の心の深いところには、あなたに知ってほしいことが隠されている。」

その瞬間、周囲の景色が変わった。
深い闇に包まれた空間は、かつての街の姿を映し出していた。
人々が笑い声を上げ、楽しそうに過ごす姿—しかし、次第にその笑顔が痛々しいものに変わっていく。
それは、健太が知らない過去の記憶だった。

「これは、私の街の記憶。」まりは言った。
「昔、私たちの街には幸せがあった。でも、ある出来事が起こってから、人々は私たちを拒み、街から消えてしまったの。」

健太は彼女の言葉に耳を傾けながら、恐怖と共に彼女の過去を見つめていた。
それは、彼女が今も街の下で苦しんでいる理由を理解するための、実体験だった。
彼女が神社で隠れている理由も、街の人々に忘れ去られてしまった自らの存在を、彼が思い出してくれることを願っているからだという。

「あなたには、私の命を助ける力がある。」まりは健太を真剣に見つめた。
「私の悲しみを知り、私の存在を街に広めてほしい。そうすれば、私も自由になれる。」

健太は心の中で葛藤した。
彼女の言葉が真実であれば、自分がその力を持つと言うのか?彼は決心を固めた。
「分かった、まり。あなたのことをみんなに伝える。あなたがまだここにいることを忘れないようにする。」

まりは微笑み、優しく彼の頬に手を添えた。
「ありがとう。あなたがその決意を持てば、私にも力が戻る。そして、私たちの間に流れていた悲しみは、やがて癒されるだろう。」

健太が目を閉じると、彼の中に温かいエネルギーが流れ込んできた。
それはまりの存在が彼に与えた力だった。
彼は再び目を開けた時、元の神社の境内に立っていた。

それからの数日間、健太はまりの思い出を街の人々に伝える活動を始めた。
少しずつ、彼女の存在が知られるようになり、街の人々は彼女を恐れるのではなく、受け入れ始めた。

ある晩、健太は再び神社を訪れた。
まりが彼の前に現れ、穏やかな微笑みを浮かべていた。
そして、彼女は静かに言った。
「あなたのおかげで、私の心は自由になった。私はもうこの街にいないけれど、あなたの中で生き続ける。」

その瞬間、健太は彼女の存在が、何よりも美しい思い出として彼の中に宿ったことを感じた。
彼が振り返った時、街の明かりは一層明るく輝いていた。
人々は、忘れ去られていた妖のことを思い描きながら、夜空を見上げていた。

タイトルとURLをコピーしました