庭は静まり返っていた。
昼間の陽光が少しずつ傾き、陰が長く伸びる頃、亜美はいつも通り自宅の庭に出た。
彼女は小さな花壇の手入れをするのが好きで、その日も同じように花たちに水をやっていた。
しかし、周囲の静寂と、どこか不気味な気配に気づくのには、そう時間はかからなかった。
庭の端にある古びた木の bench にちらりと目をやると、何かが揺れているのを感じた。
そこには、彼女の祖母が長年使っていたという古い手編みのクッションが置かれていた。
亜美は不思議に思いながらも、その席に足を運んだ。
すると、何かに引き寄せられるようにクッションの上に座り、両手を膝の上に置いた。
その瞬間、風もないのに、肌寒い感覚が全身を包み込んだ。
亜美は思わず立ち上がり、庭を見渡したが、誰もいない。
何かの具合だと自分に言い聞かせ、再び花壇に戻った。
だが、気のせいか、クッションの上に何かがあった。
そして、その存在はまるで彼女を見つめているようだった。
その瞬間、亜美の頭の中に一つの記憶がよみがえった。
数年前、彼女の祖母が入院し、見舞いに行った時のことだ。
朧げながら、病室で不気味な声を聞いた気がした。
それは、病床で祖母が呟いていた「庭の花は、私を呼んでいる…」という言葉だった。
その言葉が再び耳に響き、彼女は不安に駆られた。
苛立つ気持ちを押し殺しつつ、亜美はクッションから立ち上がる。
すると、一瞬、視界の端に人影が見えた。
彼女は思わず振り返ったが、そこには誰もいなく、ただ静寂が漂っている。
その時、庭の奥、藤棚の下の暗がりから低い響きがした。
「亜美…」それは、まるで祖母の声のようだった。
震える手を少しずつ前に伸ばし、ゆっくりと庭の奥へと進んだ。
藤の花の下には、佇む影があった。
薄暗がりで顔は見えないが、彼女にはその形がどこか懐かしかった。
「おばあちゃん?」その声が震え、亜美は心を決めて近づいた。
近くに寄ると、影がふっと消えた。
驚き、心臓が大きく脈打つ中、何かが彼女の目の前に現れた。
それは薄い布に包まれた古いアルバムだった。
亜美は手を伸ばし、クッションの中で見つけたノートのようにそれを掴んだ。
アルバムをめくると、そこには幼い頃の思い出が一ページ一ページ、鮮明に蘇ってきた。
しかし、ページをめくるごとに、風景の中に彼女の知らない人物たちが映っていた。
あるページには、見知らぬ子供の写真があり、その子が指を指していた。
亜美はその子の目を見つめるが、何か異様な感覚が彼女を包んだ。
あかりがいつも遊んでいた友達だった。
彼女はその恨めしい目の奥に、微かな哀しみを見出したのだ。
亜美は思わず後ろに飛び退いた。
アルバムが手から滑り落ち、地面に広がった。
すると、庭の周囲がどんどん暗くなっていくのを感じた。
乱れる心の中で「帰りたい」と願った。
その瞬間、声が再び響いた。
「私を…忘れないで…」
その声はどこか穏やかだったが、彼女の心をわし掴みにするようで、亜美はその場から逃げるように立ち去った。
気づいた時には、振り返ることもできずに家の中へと駆け込んでいた。
亜美はその夜、不思議な夢を見た。
記憶の中の祖母が庭で微笑んでおり、彼女の背後に暗い影が隠れていた。
その姿は夢の中でかすかに動いており、何かを訴えかけているようだった。
朝が来て目を覚ますと、庭は元の静けさを取り戻していたが、亜美の心にはあの不気味な声と記憶の断片が焼き付いていた。
彼女は庭を避け、もう二度とその場所に近づくことはなかった。