風の冷たい日、山深い村に住む青年、田中遼は、祖母から語り継がれてきた忌まわしい話を思い出していた。
村には古くからの伝説があり、特定の葦の周りで不穏な現象が起こるという。
その葦は「忌葦」と呼ばれ、誰も近づかない場所にひっそりと生えていた。
遼は好奇心に駆られ、村の古い話を確かめるべく、禁じられた森へ向かうことにした。
彼の心には、自らの目で真実を確かめたいという強い思いがあった。
しかし、その途中、村人たちが彼に警告をする声が耳に残った。
「忌葦には近づいてはいけない。行った者は呪われる…」
遼はその言葉を無視し、一人歩みを進めた。
薄暗い森を抜け、ついに忌葦の生える場所に辿り着く。
そこには背の高い葦が生い茂り、異様な雰囲気に包まれていた。
風が吹くたびに、その葦がざわめき、まるで何かが囁いているかのようだった。
遼が近づくと、葦の間からふと、誰もいないはずのその場所に人影が見えた。
驚いた彼は目を凝らし、目の前に立つ男の姿を確認する。
その男は暗い服を纏い、顔は影に隠れて見えなかった。
しかし、彼の周囲からは不気味な空気が漂っていた。
「お前も、この場所に来たのか?」男は静かな声で問いかけた。
遼は恐怖と好奇心が入り混じりながら、その場を離れようとした。
しかし、その瞬間、男の目が光り、遼の動きが止まった。
まるで呪縛にかけられたかのように、体が自由を失った。
男の姿は徐々にその影から解放され、彼は自らを「下の者」と名乗った。
「ここは忌まわしき場所。お前の心には好奇心の呪いがかかっている」と下の者は告げた。
遼は恐れを抱きながらも、必死に抵抗しようとしたが、体は動かなかった。
「何かを知ることは、代償が伴う。お前はもう逃げられない」と続ける下の者。
その声は普通の人間のものではなく、風に乗った不気味な響きがあった。
遼は自分がこの場所に来るべきではなかったと痛感し、恐怖と後悔に苛まれた。
しかし、その思いは瞬時に彼の心の奥深くに沈んでいく。
気づくと、彼はその場に立っていることに気づいたが、周囲には昔の自分がいた。
仲間たちが周りで笑い合い、明るい日差しの中で過ごしていた頃の自分が映し出されていた。
「彼らはお前を忘れる。お前はもうこの世界の一部ではなくなる」と下の者は微笑んだように言った。
遼はその瞬間、すべての記憶が霞んでいくのを感じた。
彼の思考は霧の中に消え、自我が崩れ去っていく。
気がつけば、次第に忘却の世界に囚われてしまった。
周囲のあらゆるものが失われ、ただ暗い闇と、風が葦を揺らすだけの音が響いていた。
遼は、数年前の彼に戻り、忌葦の呪いが解き放たれたのを感じることはなかった。
彼が知っていた全てのものが崩れ、自分自身も失われてしまった事故のことを思い出すことはなかった。
数日後、村の人々は遼の消息を気にかけた。
彼の行方を捜すも、誰もその姿を見つけることができなかった。
村人たちは再びこの地に近づくことを忌み、静かにその土地を忘れ去ることにした。
そして、遠くで忍び寄る風が、今もなおその場所に生きる新たな呪いとなり、光を失った魂たちの叫びを静かに受け止めていたのだった。